国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
川越氷川祭の山車行事
ふりがな
:
かわごえひかわまつりのだしぎょうじ
川越氷川祭の山車行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年10月第三土・日曜日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
401
指定年月日
:
2005.02.21(平成17.02.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
埼玉県
所在地
:
保護団体名
:
川越氷川祭の山車行事保存会
川越氷川祭の山車行事
解説文:
詳細解説
川越氷川祭の山車行事は、氷川神社の例大祭に行われる行事で、氏子の旧町内から多数の山車が曳き出される。行事にあたって神社では氏子町内に里宮を設け、一般の氏子や各町の山車の参拝を受ける。山車は、台車の上に二層の櫓を組み、中心を貫く一本の柱に大型の人形を載せた江戸型山車とされるもので、山車の上で囃子のほか、舞や神楽も行われる。初日は、山車の町内巡行と神社の参拝があり、2日目は、山車の曳き回しがある。
山車など山・鉾・屋台の行事が中心となる祭りは、日本の各地で伝承され様々な展開をしてきた。この行事は、天下祭といわれた江戸の山王祭、神田祭の影響を受けながら発展したもので、江戸型山車の巡行と、山車に舞を伴うお囃子が乗ることに地域的な特色がみられる。我が国の都市祭礼の変遷を知る上で重要であり、全国的な比較の観点からも重要な行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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川越氷川祭の山車行事
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川越氷川祭の山車行事
解説文
川越氷川祭の山車行事は、氷川神社の例大祭に行われる行事で、氏子の旧町内から多数の山車が曳き出される。行事にあたって神社では氏子町内に里宮を設け、一般の氏子や各町の山車の参拝を受ける。山車は、台車の上に二層の櫓を組み、中心を貫く一本の柱に大型の人形を載せた江戸型山車とされるもので、山車の上で囃子のほか、舞や神楽も行われる。初日は、山車の町内巡行と神社の参拝があり、2日目は、山車の曳き回しがある。 山車など山・鉾・屋台の行事が中心となる祭りは、日本の各地で伝承され様々な展開をしてきた。この行事は、天下祭といわれた江戸の山王祭、神田祭の影響を受けながら発展したもので、江戸型山車の巡行と、山車に舞を伴うお囃子が乗ることに地域的な特色がみられる。我が国の都市祭礼の変遷を知る上で重要であり、全国的な比較の観点からも重要な行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
この行事は、氷川神社の例大祭に行われる行事で、氏子の旧町内から多数の山車が曳き出される。 川越市は埼玉県南西部に位置する。武蔵野台地の東北端にあり、荒川とその支流である入間川によって西および北、東を取り囲まれている。入間川沿いにサトと呼ばれる水田地帯とノガタと呼ばれる台地上の畑作地帯が広がり、両者に挟まれる位置に城下町として発達した町中心部が形成されている。江戸時代以来、新河岸川の舟運などによって江戸との物資の往来が盛んになり、地域の経済的中心として発達し富裕な商人層が形成された。 川越氷川祭は、江戸時代初期に藩主松平信綱が神輿や獅子、太鼓などを寄進したことに始まると伝えられている。以来、代々の藩主の庇護のもと祭礼が執り行われてきた。 この行事は、平成8年までは10月14・15日の氷川神社の例大祭に行われていたが、平成9年から山車行事だけは10月第三土・日曜日に行われるようになった。例大祭前日の13日は神社で祭典の準備が行われ、14日は祭典、15日には神幸祭が行われる。神幸祭では神輿を中心にした行列が氏子町内を巡行して神社に戻る。神輿の巡行の間、各町境では次の町内から先導者が待機して先導を引き継ぎ、自分の町内を先導して次の町との境で次の町の先導者に引き継ぐ。神輿が神社に戻るまでに通過する各町内の境でこの引き継ぎが行われていく。 10月第三土・日曜日には山車行事が行われる。この行事に当たって神社では氏子町内に里宮を設け、ここで一般の氏子や各町内の山車の参拝を受ける。山車行事は、各町内が独自に実行を決めて行われてきたもので、祭りに山車を出すか出さないかは各町内自治会の総会の折に決定される。氏子各町にはそれぞれ祭りを運営するための組織があり、その祭祀組織も町内によって異なっている。1つは自治会の組織と全く重なる形の組織で、自治会長、役員をはじめ、自治会の下部組織である組や班単位に務めるその年1年の町内の行事の運営を担当する年行事、あるいは年番と呼ばれる当番を中心に運営される。また祭りのために自治会の中に実行委員会のような組織を作り自治会長が委員長になる場合、さらに祭りに参加する意志をもった町民で構成した組織を作り、これと自治会役員、年行事が一緒になって運営する場合などがある。しかし、いずれも伝統的な町内組織である自治会の年行事制度が基盤となっている。 各町内が祭りに参加する場合にも、他町まで山車を曳行する、町内だけを曳行する、山車を組み立てて飾るだけ、人形だけを飾るなどの仕方がある。 山車は台車の上に二層の櫓を組み、中心を貫く一本の柱に大型の人形を載せた江戸型山車とされるものである。祭りに山車を出す町内では祭りの1、2日前に山車を組み立てるキックミを行う。これと同時に会所と山車小屋の設営が行われる。 会所は祭りの間、町民が集まる場所であり、寄付金を受け付けたり他町内の挨拶を受けたりする場で、通りに面した家や営業をやめた商家などが選ばれる。会所の奥には氷川神社の掛け軸が掛けられる。町の会所のほかに囃子連の会所など町内の団体が独自に会所を作る場合もある。 山車小屋は、夜間山車を収納するための小屋である。 祭りの準備が終わり祭り当日になると山車が曳き出される。山車には町内あるいは周辺の農村部の囃子方が一階の囃子台部分に乗り、神田囃子の系譜をひくといわれる囃子を山車巡行の場面に合わせて演奏する。この囃子には舞がつきもので三番叟、天狐、モドキなどの舞が見られる。また、山車神楽を伝える町内もあり、いずれも山車の上で演じられる。 山車の運行は、宰領とも呼ばれる山車責任者と端元と呼ばれる鳶の頭が連携して指図する。宰領には自治会長や役員などの経験豊富な人がなる。 1日目には町内を山車を曳いて回る町内曳きが行われるが、この前後に神社まで山車を曳いていき参拝する行事が行われる。神社の鳥居前に正面して山車を止め人形をせり上げると、町内の役員は拝殿前で神職からお祓いを受け、その後山車も神職のお祓いを受ける。このとき氷川神社の御札をうけると山車に飾って町内に戻り、町内を巡行したり他町への巡行が行われる。他町内へ入るときには会所へ先触れが渡りの挨拶に行き、挨拶を受けた町内は自町内を山車が通過するまで金棒や提灯を持った案内役が先導する。 2日目も山車の曳き回しが行われ、山車同士が出合ったときには正面を至近距離で向き合わせて囃子の競演をするヒッカワセが行われる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)