国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
長良川の鵜飼漁の技術
ふりがな
:
ながらがわのうかいりょうのぎじゅつ
長良川の鵜飼漁の技術
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種別1
:
民俗技術
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
指定証書番号
:
477
指定年月日
:
2015.03.02(平成27.03.02)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)技術の変遷の過程を示すもの
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
岐阜県
所在地
:
保護団体名
:
岐阜長良川鵜飼保存会、小瀬鵜飼保存会
長良川の鵜飼漁の技術
解説文:
詳細解説
本件は、長良川中流部に位置する岐阜市長良と関市小瀬に伝承されている、飼い慣らした鵜を巧みに操って鮎などの川魚を捕える鵜飼漁の技術である。鵜匠、艫乗り、中乗りの3人が鵜船という木造船に乗って川を下りながら漁を行うもので、鵜匠は鵜につけた手縄をさばいて鵜を巧みに操って魚を捕える。(解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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長良川の鵜飼漁の技術
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長良川の鵜飼漁の技術
解説文
本件は、長良川中流部に位置する岐阜市長良と関市小瀬に伝承されている、飼い慣らした鵜を巧みに操って鮎などの川魚を捕える鵜飼漁の技術である。鵜匠、艫乗り、中乗りの3人が鵜船という木造船に乗って川を下りながら漁を行うもので、鵜匠は鵜につけた手縄をさばいて鵜を巧みに操って魚を捕える。(解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
長良川の鵜飼漁の技術は、岐阜市長良と関市小瀬に伝承される、飼い慣らした鵜を巧みに操って鮎などの川魚を捕える技術である。 日本の鵜飼漁は、七世紀に成立した『隋書』にすでに記されており、各地の地名や記録などから、かつては東北から九州まで広く行われていたと考えられている。中でも岐阜県の鵜飼漁は古く、正倉院に残る大宝2年(702)の戸籍に「鵜飼部」の語がすでにみられ、長良川の鵜飼漁については永享4年(1432)の『覧富士記』や文明5年(1473)の『ふぢ河の記』といった室町時代の記録があるほか、安土桃山時代には漁師が織田信長より鵜匠の号を賜ったとも伝えられている。 長良川は岐阜県郡上市の大日ケ岳から伊勢湾へと注ぐ河川で、鵜飼漁の行われる長良と小瀬は、ともにその中流域に位置する。長良は長良川を挟んで金華山の対岸に位置し、小瀬は長良より約10㎞上流に位置する。鵜飼漁はともに5月11日の鵜飼開きから10月15日の鵜飼終いまでの約5か月間、日暮れより行われる。 鵜飼漁は、通常、鵜匠、艫乗り、中乗りの3名が鵜船に乗って瀬を下りながら行われる。鵜匠は、親方とも呼ばれ、指導的立場にあって艫乗りや中乗りを指揮しつつ鵜を操って漁をする。艫乗りと中乗りは船頭とも呼ばれ、艫乗りは操船をし、中乗りは鵜匠や艫乗りを補佐する。 鵜飼漁を行うのは男性で、特に鵜匠は世襲での技術の継承を原則とする。鵜匠になる者は、最初は見習いとして雑用をし、次に中乗り、艫乗りを経験して見様見真似で技術を体得していく。また、中乗りになる前に中鵜使いと称して船に乗って数羽の鵜を操って漁の練習をする場合もある。 鵜飼漁では通常、丈夫で体力のあるウミウが用いられ、鵜匠は2才程度の若い鵜を入手して飼い慣らす。新たに入手した鵜をシントリと呼び、毎日頻繁に声をかけて撫でるなど「語らう」ことで人に慣れさせる。慣れてくると、縄をつけて川に放して遊ばせ、船縁に乗る訓練をはじめ、折を見て鵜飼漁に連れていく。4年以上の経験を積んだ鵜はトオシと呼ばれて1人前とされる。鵜は、鵜匠の家屋に隣接した鳥屋と呼ばれる小屋で飼われ、昼は敷地内に放たれ、夜は鳥屋の中の鳥屋籠に入れられる。鳥屋籠は、竹製の大きな籠で、カタライと呼ぶ相性の良い2羽の鵜を入れる。鵜匠は、顔、嘴、体つき、毛色などから飼っている20羽ほどの鵜を識別する。 鵜飼漁の準備は夕方からはじまる。鵜匠がその日の漁に連れていく鵜を10~12羽選ぶと、船頭がそれを鵜籠と呼ばれる竹製の籠に入れて鵜船に運ぶ。鵜船は、全長約12m、幅約1mの木造船で、篝火の薪や捕れた魚を入れる吐け籠などの諸道具が積み込まれる。鵜匠、艫乗り、中乗りが鵜船に乗ると、まわし場という漁を開始する場所まで遡る。このとき艫乗りは川の状況を観察し、難所や魚のいる場所を見極める。 まわし場に着くと、川岸で火を焚いて日が暮れるのを待ちながら鵜匠は着替えをする。鵜匠の服装は、火の粉から頭を守るために風折烏帽子と呼ばれる麻地の被り物を被り、漁服と呼ばれる木綿地の長着に木綿地の胸当を着用し、腰には藁製の腰蓑を巻き、足半と呼ばれる藁製の草履を履く。 頃合いを見て、艫乗りが籤を引いて出船の順番を決める。鵜飼漁では、先頭の鵜船の漁が後方の鵜船にも影響するため、集団としての秩序を保ちながら漁をする。長良では6艘の船が東西に分かれて瀬が変わるごとに先頭を替えながら下り、小瀬では3艘の船が縦列になって下る。 下る順番が決まると鵜匠たちは鵜船に乗り込み、篝火を焚いて漁を始める。鵜匠は、鵜籠から取りだした鵜に縄をつけて川に放つ。鵜の首には首結い、腹には腹掛けと呼ぶ縄をつけ、そこから手縄と呼ぶ縄を延ばして左手に持つ。首結いの結び加減は、漁を左右するともいわれ、鵜の体調をみて調整する。通常指一本程度が入る隙間を開け、鵜が大きな魚だけを喉に残して小さな魚を食べられるようにする。鵜匠は、左手の薬指と小指に力を入れてすべての手縄を握り、鵜の動きを見ながら必要に応じて他の指を使って巧みにさばき、手縄が絡まりそうなときは右手の指を絡みにかけて手元までたぐり寄せるなどしてほどく。手縄が水中の障害物などに絡まって鵜に危険が及んだときは手縄を抜いたり切ったりして鵜を放ち、後で篝火に寄ってきたところを捕獲する。 鵜匠は、通常10羽程度の鵜を操るが、多いときは12羽もの鵜を操る。「ホーウホーウ」などと鵜を励ます声をかけ、魚のいそうな場所を篝火で照らしながら手縄をさばく。浅い瀬では鵜船の下に鵜が入り込んで怪我をしないように注意し、鵜が深く潜ろうとするときは水面近くまで身を乗り出して手縄をさばくこともある。 そして、瀬を下り終えると、鵜の喉元の膨らみを確認して魚を吐き出させる。鵜の首の根本を右手で軽くつかみ、小指を使って喉元にある魚を上げていく。そして左手の親指と人差し指で嘴を開き、右手の小指に力を入れて首を軽く絞り、吐け籠に魚を吐かせる。また、次の瀬に入るまでに篝に薪もくべておく。 艫乗りは、浅いところでは棹を使い、流れに乗ると櫂を使って巧みに操船する。また、鵜匠の指示を受けながら鵜船の速度を川の流れよりやや速いくらいに調整し、鵜が魚を捕獲しやすいように船縁を櫂でたたいて魚を追い立てる。また、時には逆引きと称して一度下ってから魚の多くいた瀬に戻ることもある。 こうして所定の位置まで下ると漁を終了し、アガリと称する片づけに入る。まず鵜匠が鵜を船縁にあげて篝火で羽根を乾かして一羽ずつ丁寧に手縄を外し、次いで船頭が鵜を鵜籠に入れる。このとき鵜の腹に手を当てて食べ方が足りない鵜には餌を与える。捕れた魚は傷が多いものを除いてモロ蓋と呼ぶ木箱に並べられる。最後に篝火を消して鵜船を係留地に戻し、諸道具を鵜匠の家に運び、鵜を鳥屋籠に移して就寝させる。 (解説は指定当時のものをもとにしています)