国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
那智の扇祭り
ふりがな
:
なちのおうぎまつり
那智の扇祭り
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年7月13、14日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
指定証書番号
:
479
指定年月日
:
2015.03.02(平成27.03.02)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
和歌山県
所在地
:
保護団体名
:
那智の扇祭り保存会
那智の扇祭り
解説文:
詳細解説
本件は、熊野三山のうち、和歌山県那智勝浦町にある熊野那智大社の例大祭に行われる行事で、太陽を模した扇神輿と呼ばれる板状の依代12体が、本殿から那智の大滝まで渡御して、五穀豊穣や家内安全などを祈願する。扇神輿の渡御途中からは、12本の大松明が先導してその経路を浄めることから、「那智の火祭り」と呼ばれることもある。熊野信仰の拠点の行事として厳格に伝承されてきた一方で、太陽や水、火といった自然崇拝的な性格が濃厚にみられる行事である。(解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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那智の扇祭り
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那智の扇祭り
解説文
本件は、熊野三山のうち、和歌山県那智勝浦町にある熊野那智大社の例大祭に行われる行事で、太陽を模した扇神輿と呼ばれる板状の依代12体が、本殿から那智の大滝まで渡御して、五穀豊穣や家内安全などを祈願する。扇神輿の渡御途中からは、12本の大松明が先導してその経路を浄めることから、「那智の火祭り」と呼ばれることもある。熊野信仰の拠点の行事として厳格に伝承されてきた一方で、太陽や水、火といった自然崇拝的な性格が濃厚にみられる行事である。(解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
那智の扇祭りは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に所在する熊野那智大社を中心とした祭礼行事で、毎年7月13、14日に行われ、年間の祭礼行事のなかで、もっとも盛大で重要な行事である。 熊野那智大社は、熊野本宮大社、熊野速玉大社とともに熊野三山と称され、これらは全国に約3000社あるとされる熊野神社の総本社にあたる。各社とも固有の祭祀起源を持つが、10世紀後半に相互に祭神を合祀し、熊野三山の信仰体系が成立すると、11世紀には、阿弥陀信仰が強まり、浄土教が盛んになってくるなかで、熊野の地は浄土とみなされるようになり、院政期の歴代上皇の度重なる御幸をきっかけに、その名は全国に広まった。やがて、皇室から武士、さらには庶民へと熊野信仰は広がっていき、平安時代末期から鎌倉時代にかけては「蟻の熊野詣」と例えられたように、浄土に生まれ変われるよう、多くの人びとが熊野三山を訪れた。那智の扇祭りは、こうした信仰の歴史を背景にした神聖な地において、今日に受け継がれてきた。 本件は、太陽をかたどったとされる扇神輿が本殿を出立し、那智の大滝を拝したのち、還御するという祭りである。扇神輿は、いわゆる宮型神輿ではなく、扇を飾り付けた高さ6mほどの板状のもので、12体あってそれぞれ年月を意味するとされている。祭礼組織としては、那智山区をはじめ、地元住民を核とした保存会が組織され、特に扇神輿の担ぎ手については扇指といって、伝統的に市野々区の住民が司ることになっている。 扇祭りに使う多くの祭具は毎年新調するため、その準備は4月頃からはじめられる。那智大社では専用の作業場があって、おおむねそこで製作しているが、なかでも松明は大小あって多数必要とすることから、入念に準備される。特に、祭りの後段で用いられる大松明は、12体作ることになっていて、最大のもので直径1尺4寸(約42㎝)、重さ約60キログラムもある。 7月13日は宵宮祭と称し、夕刻より大和舞と田楽の奉納がある。本祭は翌14日で、早朝未明の火鑚式にはじまるが、ここで起こした御神火がのちの各儀式に使われる。この後は前日と同様、大和舞と田楽の奉納が行われ、次に御田植式といって代掻きを模した儀式があって、いよいよ昼過ぎから扇神輿の渡御となる。 祭主以下全員が扇神輿を拝し、神霊を迎えると、大滝方向に向かって3度「ザァーザァーザァー、ホォー」と大声をあげ、大太鼓を連打する。この喊声が扇神輿の渡御開始の合図である。一行は、点灯した松明を持った子の使いを先頭にして、前駆神職、馬扇、伶人、大松明、扇神輿、宮司、巫女等の順に、勾配の急な石段を下って行く。道行きでは、独特な「ハリャ、ハリャ」の掛け声がある。しばらく進むと、途中、伏拝と称する場所でいったん駐留し、ここではあたかも扇が開くかのようにして順次、扇神輿を立て並べる。すべてが林立すると、大滝に向かっての遙拝(ようはい)がある。終わると、一行は先発後発の二手に分かれる。子の使い、扇神輿等を残し、大松明、伶人、宮司、巫女が先発する。 先発した一行は滝前に到着すると、ここから一の使い、二の使い、三の使いと称する三者の使いを後発の一行に向け、順次送り出していく。このときも「ザァーザァーザァー、ホォー」の掛け声があがる。各使いは、いずれも火を点じた松明を持って馳せていく。まず、伏拝から少し下った場所で子の使いと一の使いが出会うが、この際には、互いの松明の火を合わせ、両手を肩から下ろすようにする独特な挨拶の所作がある。こうして、子の使いと一の使いは合流し、滝前に向け歩みを進めると、今度は二の使いと出会う。この場所も古くから定められているところである。ここでも同じく火合わせをし、合流する。そして再び歩みはじめ、同様にして三の使いと合流、滝前へと向かうのである。この間、頃合いを見計らって、扇神輿などが後発するが、出立の際には、やはり「ザァーザァーザァー、ホォー」の掛け声がある。 一方、使いを出した滝前では、光ヶ峰と呼ぶ遙拝石に向って、かつての神仏習合時代の修験道的な様相をうかがわせる特殊な祭儀がある。この儀式が終わった頃、子の使いと三者の使いたちが到着し、使いの終了報告があったのち、子の使いのみが再度、扇神輿の元へと馳せ参じる。滝前では12体の大松明に火が点され、子の使いの後を追うように石段を登っていく。石段半ばで扇神輿に出会うと、大松明はその炎で神輿を煽りつつ、大滝に向かって道先を左回りに旋回しながら先導し、浄めていくのである。このあり様が火炎の乱舞のごとく荘厳で、祭りの佳境を呈する場面ともなっていることから、扇祭りは一名「火祭り」とも呼ばれている。 扇神輿が石段の下の滝前に到着すると、烏帽を被った神職が打ち松と称する檜の削りかけで神字を描いたのち、扇神輿に付してある神鏡を軽く打ち据えていく。これを順次、一から一二の扇神輿それぞれに行っていくが、このことを扇褒めと呼んでいる。扇神輿は、褒め終えた順に滝前の斎場に立て掛けられ、すべてが揃ったところで、全員が大滝そのものを拝する形で大前の儀がはじまる。終わると、御田刈式と称した稲刈りを模した儀式があるが、これは出発前の御田植式と対になるものである。次に、12名の者が大滝に向かって日の丸扇を手に舞う、那瀑の舞が奉納される。その所作には風起や散塵、招福到来の意が含まれている。以上をもって本殿への還御となる。 還御の際は、同じ道程を辿ることになる。ただし、往路であったような途次での駐留はなく、直行するのみである。戻ると、本殿前にて再び扇神輿が立ち並び、終了報告の儀があって、以下、扇神輿の解体、直会と続いて祭りは終了する。 (解説は指定当時のものをもとにしています)