国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
大善寺玉垂宮の鬼夜
ふりがな
:
だいぜんじたまたれぐうのおによ
大善寺玉垂宮の鬼夜
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月7日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
1994.12.13(平成6.12.13)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
福岡県
所在地
:
保護団体名
:
大善寺玉垂宮鬼夜保存会
大善寺玉垂宮の鬼夜
解説文:
詳細解説
大善寺玉垂宮の鬼夜は、大善寺玉垂宮に伝承される鬼夜の行事である。7日昼、鬼面尊の面が本殿から阿弥陀堂へ遷され、種蒔き行事が行われる。夕方、鬼面尊神が再び本殿に遷されると、松明揃えがあり、次いで6本の大松明に火がつけられ鉾面神事が行われる。続いて大松明回しがあり、大松明が本殿と阿弥陀堂・鐘楼をまわる。すると阿弥陀堂から鬼がでてきて、阿弥陀堂の周囲をまわり、最後に大松明と鬼がシオイガキをとり、本殿に一気に駆け込み、鐘楼の鐘が打たれて終了する。
小正月の火祭りに追儺の儀式が結び付いたもので、地域と社寺が一体となって執行する多様な要素を具備した年頭の火祭り行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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大善寺玉垂宮の鬼夜
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大善寺玉垂宮の鬼夜
解説文
大善寺玉垂宮の鬼夜は、大善寺玉垂宮に伝承される鬼夜の行事である。7日昼、鬼面尊の面が本殿から阿弥陀堂へ遷され、種蒔き行事が行われる。夕方、鬼面尊神が再び本殿に遷されると、松明揃えがあり、次いで6本の大松明に火がつけられ鉾面神事が行われる。続いて大松明回しがあり、大松明が本殿と阿弥陀堂・鐘楼をまわる。すると阿弥陀堂から鬼がでてきて、阿弥陀堂の周囲をまわり、最後に大松明と鬼がシオイガキをとり、本殿に一気に駆け込み、鐘楼の鐘が打たれて終了する。 小正月の火祭りに追儺の儀式が結び付いたもので、地域と社寺が一体となって執行する多様な要素を具備した年頭の火祭り行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
大善寺玉垂宮の鬼夜は、久留米市大善寺玉垂宮に伝承されている行事である。12月31日のオニビトリ(鬼火採り)から始まり、この火が神殿奥にて守られる1月7日まで行われる。 鬼夜の大松明は、かつては前日の1月6日に作っていたが、現在は人手の都合などもあって4日に作っている。この松明は大字宮本の6つの字がそれぞれムラヨリといい全戸が参加して作って奉納するもので、一番松明から六番松明の6本となっている。芯に直径20㎝ほどの孟宗竹を3本束ねて入れその周囲に笹竹を寄せて回し、さらにそのうえを直径3~4㎝ほどの真竹で包み込んで化粧竹とする。火をつける頭には枯れた杉葉を入れて切り口を揃え、この上に頭の方から7本・5本・3本と縄を掛けて結び、同様に根元側からも同じく七五三と縄を掛けて男結びにする。 大松明の胴を縛る縄は、2本回しで1年の日数を表す365ヶ所、閏年の場合には366ヶ所を縛る。大松明の末端はかずらの蔓で縛り尻縄を付ける。 祭り当日の7日は、昼の鬼面尊【きめんそん】神事から始まる。神社から迎えを受けた赤司家と川原家の人たちによって鬼面尊の面が本殿から阿弥陀堂へ奉遷される。このなかで種蒔き行事も行われる。これは神前に供えた玄米を用いて行われるが、その玄米は神官によって正月14日のドンドの日に粥に炊かれ、4月11日の御田祭の当日に粥の表面に発生したカビの具合によって五穀の豊凶や風災害の予測などが占われる。これをカビ占いという。 夕方、鬼面尊神は再び本殿に遷される。日暮れとともにタイマツマワシの氏子たちが褌姿で次々と集まり、一同が揃った後大松明の組ごとに神前を流れる霰川で水垢離をとる。これをシオイガキといい、小松明を持ち気勢を上げながら駆け足で2度本殿間を往復する。なお、これに先立って宮の関係者によるシオイガキが行われ、この折りに汐井が汲まれ、カビ占いの粥を炊く水として保存される。 内外の明かりをすべて消したなかで松明揃えを行う。一番鐘の合図で一番組から大松明に向かう。6つの組が揃ったところで二番鐘が打たれ、赤司家の者によって本殿に保存されていた鬼火が運ばれ大松明に着火する。なお、この大松明の火に当たると無病息災になると信じられている。 この大松明の明かりの下で鉾面神事が行われる。この神事は赤司家の2名が務める行事で、阿弥陀堂の前で行い、介添役の若者が鬼の面を被った2人からその持つ鉾を奪い取る「ほことった」、被った面を奪い取る「めんとった」、この2名が腰に帯びた刀を抜く「そらぬいだ」という3つの儀式からなる。 鉾面行事が終わると、大松明回しが始まる。大松明は本殿と阿弥陀堂・鐘楼を取り巻くようにに右回りに一番松明が1回、その他は2回まわる。 タイマツマワシが始まるに先立って、鬼役は人に知られぬように阿弥陀堂に籠もる。麻製の被り物を着けたシャグマという子どもたちが阿弥陀堂の板壁を叩いて鬼の出現を促すなか、鬼は麻で作った蓑を頭から被って堂を出て、タイマツマワシの闇を縫って阿弥陀堂の周囲を7回半右回りに回る。この鬼の周回を数える役を数取りといい川原氏が務める。川原氏は小槌を持ち鬼が来るたびにこれで鬼の頭を軽く打つ。この小槌で叩いて貰うと無病息災が得られるといい、参拝者が叩いてもらいに来る。 回り終えた一番松明は境内から総門を潜って霰川の堤防にシオイガキに向かう。 大松明のシオイガキとともに鬼のシオイガキが行われる。大松明の明かりを避け建物の陰を縫いながら霰川へと向かい、終了後は本殿に一気に駆け込む。ここで、鐘楼の鐘が七・五・三と打たれる。これをヤクガネといいすべての行事が終了したことを示すもので、勝田氏が務めることとなっている。 この行事は、その規模においても特筆される火祭りである。小正月の火祭りに追儺の儀式が結び付いたもので、周辺の同種の行事の存在から天台修験の影響も推測される。行事は種蒔き神事などの農耕儀札や、鬼役が人目にふれずに行動すること、大松明のシオイガキなどに特色ある形態を残していること、大松明の奉納やタイマツマワシを玉垂宮の氏子が務め、鉾面神事や鬼役・数取り役・ヤクガネ打ちなどの主要な役が特定の世襲の家筋で務められるなど、地域と社寺が一体となって執行していることなど、多様な要素と内容とを具備しており、この地方の年頭の火祭り行事を代表するものである。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)