重要無形民俗文化財
 主情報
名称 白鬚神社の田楽
ふりがな しらひげじんじゃのでんがく
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種別1 民俗芸能
種別2 田楽
その他参考となるべき事項
指定証書番号 1
指定年月日 2000.12.27(平成12.12.27)
追加年月日
指定基準1
指定基準2
指定基準3
所在都道府県 佐賀県
所在地
保護団体名 白鬚神社の田楽保存会

解説文:
 白鬚神社の田楽は、佐賀市久保泉町大字川久保の白鬚神社の祭礼に奉納される芸能で、毎年十月十八日、十九日に川久保地区住民により演じられている。
 白鬚神社は、古代に近江の白鬚大明神の分霊を奉じて移住し、川久保の地を拓いた一九家により創建されたと伝えられている。この移住者たちは白鬚神社の周囲に家を構え、代々「〇〇丸」という名前を称した。これらの家は「丸持【まるも】ちの家」と呼ばれ、地区の草分けとして高い誇りをもち、白鬚神社の祭を先祖祭とあわせて行い、「丸祭り」と呼んだ。白鬚神社の田楽は、長くこの丸祭りに付随して行われてきたといわれているが、現在は丸祭りとは切り離され、神社氏子総代を中心とする田楽保存会により執り行われている。なおこの田楽に関しては、白鬚神社の享保十九年(一七三四)建立の鳥居に刻まれている「時奏村田楽」との銘文が現在確認できる最も古い記録である。
 田楽は希望者の中から神官のくじ引きにより決定される以下の諸役により演じられる。
 「ハナカタメ」と「スッテンテン」と呼ばれる役は、それぞれ幼児一名がつとめる。ハナカタメは、綿で作った鉢巻きを締め、青い着物を着て、手に造花を着けた棒と扇を持つ。スッテンテンは、頭に金色の立烏帽子【たてえほし】をかぶり、青色の着物を着て、手に小鼓と扇を持つ。
 「カケウチ」と呼ばれる役は、青年二名がつとめる。頭に花笠をかぶり、白衣に黒のくくり袴をつけ、腰の前に太鼓をつるし、両手に太く短いバチを持ち、背中に一メートルほどの金銀を飾った木刀を横につける。その出で立ちは、田楽法師の古風を思わせる。
 「ササラツキ」と呼ばれる役は、女装した少年四名でつとめる。大きな花笠をかぶり、顔に白粉を塗り、額中央と両頬に紅をさし、波にうさぎの裾模様の振り袖を着て黒い女帯を前で結び、白足袋を履き、手にビンザサラを持つ。花笠は、上に二筋ずつ左右に垂らした華やかな女帯をつけ、さらにその上に鏡を二面つけ、後頭部に縦に数条の切れ目を入れた白紙を垂らす。この華麗な出で立ちには、近隣の風流【ふりゅう】系芸能の影響が考えられる。
 「笛」は、以前は壮年四名でつとめたというが、現在は黒の紋付き姿の三名と裃姿の四名が交代でつとめている。
 祭礼当日の早朝、田楽衆は白鬚神社西側を流れる小川で禊【みそ】ぎをし、身を清め、祭礼の終了まで、魚肉をとらず精進する。そして午前一一時ころ神社総代の家に集合し、神社の鳥居まで道行を行う。行列は、先頭に付添に肩車されたハナカタメとスッテンテンが並び、以下全体を指揮する頭取、カケウチ、ササラツキ、笛、付添の順で進む。行列が鳥居にかかると、「鳥居がかり」の曲が奏され、カケウチ二人が「オハッ」という掛け声を発しながら踊る。これが終わると、一同は境内に入り、社殿前に青竹で作られた玉垣内に座を占める。この「鳥居がかり」は、田楽の重要演目であった「中門口【ちゅうもんぐち】」を偲ばせる。
 この後玉垣内で、カケウチが向かい合って太鼓を打ちササラツキの二人が進み出てササラを鳴らす動作を繰り返す「三三九度【さんさんくど】」、二人のカケウチが「オハッ」の掛け声を発し太鼓を打ちながら活発に踊る「ツキサシ」、三人のササラツキがササラで何かをすくうような動作をする「サザレスクイ」、四人のササラツキが四隅に立ってゆったりと舞う「四方立ち」、ササラツキが四隅に立ちカケウチが掛け声を発しながら活発に踊る「オサエバチ」、ササラツキのゆっくりとした動きによる「ムコウニミアシ」、の六演目がおよそ一時間半余りの時間で演じられる。一部カケウチの活発な動きはあるものの、全体としてはゆったりとした曲と動きである。
 以上のように白鬚神社の田楽は、田楽の古風を偲ばせるとともに、地区に定着する中で独自の展開を見せており、芸能の変遷の過程を知る上で特に重要であり、九州に残る希少な田楽として地域的特色も顕著である。
関連情報
    (情報の有無)
  添付ファイル なし