国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
城端神明宮祭の曳山行事
ふりがな
:
じょうはなしんめいぐうさいのひきやまぎょうじ
城端神明宮祭の曳山行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年5月4・5日(※指定当時は毎年5月14・15日・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
2002.02.12(平成14.02.12)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
富山県
所在地
:
保護団体名
:
城端曳山祭保存会
城端神明宮祭の曳山行事
解説文:
詳細解説
この行事は、旧城端町の城端神明宮の春の例祭で行われる行事で、獅子舞、神輿、鉾、曳山、庵屋台が町内を巡行する。
4日(指定時14日)の宵祭りでは、神明宮から3台の神輿が御旅所まで渡御する。各山町では曳山と庵屋台を組立て、神像を山宿に飾り付けて公開する。
5日(指定時15日)は、神輿の渡御に続いて、鉾、曳山、庵屋台が巡行する。これらを曳くのは周辺部の農村の人々である。
曳山は、二層四輪形式で彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りの豪華なものである。庵屋台は、底抜け屋台形式で、上部の飾りは精巧な作りである。囃子を演奏しながら巡行し、途中随所で若連中により庵唄が披露される。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
城端神明宮祭の曳山行事
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城端神明宮祭の曳山行事
解説文
この行事は、旧城端町の城端神明宮の春の例祭で行われる行事で、獅子舞、神輿、鉾、曳山、庵屋台が町内を巡行する。 4日(指定時14日)の宵祭りでは、神明宮から3台の神輿が御旅所まで渡御する。各山町では曳山と庵屋台を組立て、神像を山宿に飾り付けて公開する。 5日(指定時15日)は、神輿の渡御に続いて、鉾、曳山、庵屋台が巡行する。これらを曳くのは周辺部の農村の人々である。 曳山は、二層四輪形式で彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りの豪華なものである。庵屋台は、底抜け屋台形式で、上部の飾りは精巧な作りである。囃子を演奏しながら巡行し、途中随所で若連中により庵唄が披露される。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
城端神明宮祭の曳山行事は、旧東礪波郡城端町に鎮座する城端神明宮の春の例祭として行われ、獅子舞、神輿、鉾、曳山、庵屋台が町内を巡行する行事である。 この行事が行われる旧城端町は、富山県の礪波平野の最南端に位置し、五箇山への入口の地にある。近世以来五箇山で生産される生糸を原料とする織物の町として、また城端別院善徳寺の門前町として栄えてきた。高清水山地から流れ出る山田川と池川にはさまれた幅約300m、長さ1000mほどの所に町の中心部がある。 城端神明宮はここに祀られ、西上町、西下町、東上町、東下町、出丸町、大工町、新町、野下町、南町の9町の氏神となっている。この行事には西上町、西下町、東上町、東下町、出丸町、大工町の山町と呼ばれる6町が傘鉾、曳山、庵屋台を出し、新町が劔鉾と傘鉾、野下町が傘鉾と獅子舞、南町が獅子舞を出す。 この行事は、毎年5月4・5日(指定時は毎年5月14・15日)に行われる。 4日は宵祭りで、城端神明宮から、春日神輿、石清水神輿、神明神輿の3台が、野下町と新町にそれぞれ交互に1年おきに立てられる御旅所まで渡御する。この日、各山町では曳山と庵屋台の組立てを行い、曳山の神像を山宿あるいは山番と呼ぶ家に飾り付け、飾り山といって一晩公開する。かつては山宿をつとめることのできる家は限られていたというが、現在では順番でつとめるようになり、数年先まで順番が決まっている山町が多い。 5日は、鉾、曳山、庵屋台の巡行が行われる。各山町では朝早くから山宿に飾っていた神像を曳山の上に移して巡行の準備をし、城端別院善徳寺と曳山会館の間の集合場所に向かう。曳山と庵屋台を曳くのは町の人たちではなく、城端町周辺部の農村の人たちである。各町によってどこの村の人たちを頼むかはほぼ決まっており、春先に各町の区長などが頼みに行く。鉾も曳山や庵屋台と同様に周辺の村の人たちが持って巡行するが、新町のみは町内の若い者が持つことになっている。 このように鉾、曳山、庵屋台の巡行には町の人たちだけでなく、周辺部の村の人たちの協力が必要不可欠となっており、その協力のうえにこの行事が成り立っていることがわかる。 神輿の渡御は、南町と野下町が御旅所で獅子舞を奉納した後に行われる。各町の鉾を先頭に、旗、太鼓などとともに春日神輿、石清水神輿、神明神輿の3台の神輿が続いて出発する。先に出発した南町の獅子は、この神輿渡御行列の先祓いをする形で町内をまわって獅子舞を奉納する。 6台の曳山は、二層四輪の形式で、彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りの豪華なものである。曳山は、神輿の渡御行列が通り過ぎるのを待ってから町内巡行に出発する。曳山巡行の順番は明治初め頃から毎年交代制となっており、その年の最後尾の曳山である六番山が翌年は一番山として先頭に立つことになっている。山町ごとに庵屋台、曳山の順にならんで巡行し、曳山は、町内と人足衆の中からそれぞれ1人ずつ選ばれた曳山才許の指示で動く。 庵屋台は、底抜け屋台の形式のもので、上部の飾りは江戸の料亭などの建築を参考にしたとされる精巧なつくりものである。かつては担いでいたが、現在は車を付けて押す形に変わっている。中には各山町の囃子方と呼ばれる若連中8人が入り、笛、三味線、太鼓で囃子を演奏しながら歩いて巡行する。曳山は別院前を出発すると、途中で休憩をとりながら、夜間は提灯をつけて氏子町内を巡行する。 この巡行の間に「庵唄所望」と書かれた紙の貼られた家の前に来ると、庵屋台と曳山を止め、庵屋台の中の囃子方が庵唄を披露する。 6日には曳山と庵屋台の片付けが行われる。以前には各山町内がそれぞれの山蔵に保管していたが、曳山会館ができてからは、毎年3台ずつ交代で会館に展示されることになっている。 曳山と庵屋台の運行は、それぞれ曳山連合会、庵連合会によって行われている。曳山連合会はこの行事全体を運営する組織で、6つの山町の区長、区長代理、若連会長などで構成され、当番山とも呼ばれるその年の一番山町の区長が連合会長になり、他の5つの山町の区長が副会長になる。庵連合会は、各山町内でそれぞれ組織されている若連中によって構成され、会長は当番山の若連会長がつとめる。この他、神輿の巡幸は城端神明宮の氏子組織である敬神会がつとめる。 この行事は、富山県の代表的な山鉾屋台の行事の一つであるとともに、地域的特色が豊かなものとして重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)