国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
佐原の山車行事
ふりがな
:
さわらのだしぎょうじ
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年7月9〜18日までの金・土・日曜日(八坂神社)、毎年10月第2土曜日を中心とする前後3日間(諏訪神社)(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
397
指定年月日
:
2004.02.06(平成16.02.06)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
千葉県
所在地
:
保護団体名
:
佐原山車行事伝承保存会
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
解説文:
詳細解説
佐原の山車行事は、旧佐原市の本宿の八坂神社と新宿の諏訪神社の両社の祭礼の附祭として行われてきた行事で、巨大な人形などを飾り付けた数多くの豪華な山車が佐原囃子の調べにのって氏子区内を勇壮に曳き回される。本宿では10町内、新宿では14町内から山車が繰り出される。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
佐原の山車行事(新宿・諏訪神社秋祭)
佐原の山車行事(新宿・諏訪神社秋祭)
佐原の山車行事(新宿・諏訪神社秋祭)
佐原の山車行事(新宿・諏訪神社秋祭)
写真一覧
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
写真一覧
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
写真一覧
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
写真一覧
佐原の山車行事(本宿・八坂神社祇園祭)
写真一覧
佐原の山車行事(新宿・諏訪神社秋祭)
写真一覧
佐原の山車行事(新宿・諏訪神社秋祭)
写真一覧
佐原の山車行事(新宿・諏訪神社秋祭)
写真一覧
佐原の山車行事(新宿・諏訪神社秋祭)
解説文
佐原の山車行事は、旧佐原市の本宿の八坂神社と新宿の諏訪神社の両社の祭礼の附祭として行われてきた行事で、巨大な人形などを飾り付けた数多くの豪華な山車が佐原囃子の調べにのって氏子区内を勇壮に曳き回される。本宿では10町内、新宿では14町内から山車が繰り出される。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
佐原の山車行事は、旧佐原市の本宿の鎮守である八坂神社と新宿の鎮守である諏訪神社の両社の祭礼の附祭として行われてきた行事で、巨大な人形などを飾り付けた数多くの豪華な山車が佐原囃子の調べにのって氏子区内を勇壮に曳き回される。 旧佐原市は、千葉県の北東部に位置し、近世以降、利根川の舟運によって江戸と結びつき、市街地を流れる小野川の両岸は佐原河岸とも称されて物資の集散地として栄えるとともに、六斎市、酒造業の盛行などによって経済的な繁栄を誇ってきた地域である。この小野川と香取街道が交差する周辺に町並みが形成され、小野川を境にして東側を本宿、西側を新宿と称し、それぞれ十数の町内に分かれている。 佐原では、町人層のこうした経済的な活況を背景として、江戸の祭礼文化の影響下に、享保年間(1716~36)頃から山車と囃子を中心とする行列が祭礼に登場するようになり、その後、両宿ならびに各町内が意匠を競い合いながら行事を伝承する中で、江戸時代末期から大人形が山車の飾り物として現れ、今日に至っている。 本宿の山車行事は、7月中旬の八坂神社の祇園祭に行われ、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町、上仲町、荒久、本川岸、八日市場、浜宿の10町内から山車が繰り出される。 一方、新宿の山車行事は、10月中旬の諏訪神社の大祭に行われ、下新町、新上川岸、南横宿、上宿、新橋本、下分、仲川岸、下川岸、上中宿、下宿、東関戸、西関戸、上新町、北横宿の14町内から山車が繰り出される。なお、新宿では中宿の山車が現在休止中である。 山車は、いずれも四輪の二層構造で、最上部の露台とその下の囃子台とから成る。柱間には鳥獣や説話などを題材とした重厚な彫刻が飾り付けられ、露台の周囲には幕や注連縄が吊り下げられ、露台の上には巨大な飾り物が配される。この飾り物は、高さ3~5メートルに及ぶ一人立ちの大人形が主流で、歴史上の人物に取材した人形が多く見られる。これらの人形は、胴部に差し込んだ芯柱で昇降させる「迫り出し仕掛け」と呼ばれる装置で上下に動かされる。かつては、各町内が年々に当世風の新たな趣向を凝らし、藁などを用いて飾り物を製作してきたと伝えられるが、江戸時代末期になると江戸の人形職人に飾り物の製作を依頼するようになり、等身大の人形を組み合わせた芝居や物語の場面を象ったものから、一人立ちの巨大な大人形へと展開していったとされる。ただし、大人形が主流になっているものの、本宿の山車には今日でも藁で作られた大鷹や大鯉が飾り物として登場している。 山車行事の運営は、本宿、新宿ともに山車を所有する町内から持ち回りで選ばれる当番を中心に行われる。この当番を本宿では山車年番、新宿では幣台年番と呼び、両宿とも任期は3年である。年番を務める町内は、年番町と呼ばれる。また、前期に年番を務めた町内を前年番、次期に年番を務める町内を後年番とし、この3つの町内を前後三町と称している。山車の運行等の行事計画は、この前後三町が協議をして決定し、行事に際しては年番町が一切を取り仕切る。山車行事に関する各町内の組織には、古役、当役、若衆といった年齢階梯的な性格の強い役割があり、山車の運行に関しては当役が責任を任されていて、当役長を始めとする10数名の当役がいる。その下に若衆頭を筆頭とする若衆たちがいて、てこ棒や担ぎ棒を巧みに山車の曳き回しを行う。古役は当役に指導、助言をする役目で、当役経験者から選ばれる。 山車行事は、両宿とも3日間行われる。行事の次第は、年番の引継ぎが行われる年とそれ以外の年で異なり、前者を本祭式、後者を例祭式と称し、それぞれの山車が自らの町内を回る乱曳きや、全町内の山車が集まって順列を組んだり、所定の位置を定めて行う番組行事、山車の曳き回しの見せ場でもある曲曳きなどが当番町の指揮によって3日間の中で組み合わされて行われる。 番組行事は、山車が勢揃いしての氏子区内の巡行や巡行の開始時に囃子を順番に演奏していく「通し砂切」などがあり、年番町の山車から順次行われるのが決まりである。 この祭りは、利根川主運を背景に繁栄した在郷町の祭りで、江戸文化の影響を色濃く受けながらも、地域的な特色を色濃く残しており、また厳格な祭り組織によって伝承されている祭りである。この祭りは、周辺の諸地域の祭りや祭囃子に大きな影響を与えており、この地方を代表する風流系の山車祭りである。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)