国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形文化財
主情報
名称
:
古典落語
ふりがな
:
こてんらくご
解説表示▶
種別1
:
芸能
種別2
:
演芸
その他参考となるべき事項
:
認定区分
:
各個認定
指定年月日
:
1995.05.31(平成7.05.31)
指定基準1
:
指定基準2
:
指定基準3
:
地域
:
解説文:
古典落語は、中世の御伽衆【おとぎしゆう】や仏教の説教【せつきよう】などの系譜に位置づけられる話芸【わげい】であるが、その実質的歴史は、京の露【つゆ】の五郎兵衛【ごろべえ】、大阪の初代米沢彦八【よねざわひこはち】、江戸の鹿野武左衛門【しかのぶざえもん】ら十七世紀末に三都で活躍した職業的噺家【はなしか】達に始まり十八世紀末の上方・江戸双方での寄席【よせ】創設を経て、東西で影響しつつも独自の発展を遂げ、幕末から明治にかけてほぼ現在のような形に大成したといわれる。
鹿野武左衛門に始まる江戸の落語は、十八世紀後半の烏亭焉馬【うていえんば】の会咄を経て、初代三笑亭可楽【さんしようていからく】により寄席の芸能として確立した。その後天保の改革により大きな打撃を受けるが、幕末には再び復興し明治期の三遊亭円朝【さんゆうていえんちよう】・三代目柳家小【やなぎやこ】さんらにより大成された。江戸っ子の気質を反映して、派手な演出を排し、手拭い・扇子のみでさまざまな表現を行う「素噺【すばなし】」の淡泊な味わいを特徴とする。
一方上方の落語は、十七世紀末の京北野天満宮等での露【つゆ】の五郎兵衛【ごろべえ】、大阪生玉【いくたま】社の初代米沢彦八【よねざわひこはち】の辻咄【つじばなし】に始まり、十八世紀末初代桂文治【ぶんじ】により寄席の芸能として確立し、幕末から明治にかけて初代笑福亭吾竹【しようふくていごちく】・二代目桂文枝【ぶんし】・月亭文都【つきていぶんと】ら多くの名人により大成をみた。江戸の落語に比べ全体として派手で賑やかな演目が多く、下座【げざ】の囃子【はやし】を噺【はなし】の中に取り込む「ハメモノ」の演出や、見台【けんだい】を賑やかに叩いて演じる「入【い】れ込【こ】み噺【ばなし】」など、大阪弁の味わいとともに独自の特徴を有する。
このように東西それぞれに特徴を有する古典落語は、磨かれた話術で一人の噺家がさまざまな人物を描きわけ独自の笑いの世界を構築するもので、高度な芸術的表現力を要するものであり、またわが国の代表的芸能の一つとして、芸能史上大きな価値を有するものである。
関連情報
(情報の有無)
保持者情報(保持者/芸名・雅号)
なし
団体情報
なし
添付ファイル
なし
解説文
古典落語は、中世の御伽衆【おとぎしゆう】や仏教の説教【せつきよう】などの系譜に位置づけられる話芸【わげい】であるが、その実質的歴史は、京の露【つゆ】の五郎兵衛【ごろべえ】、大阪の初代米沢彦八【よねざわひこはち】、江戸の鹿野武左衛門【しかのぶざえもん】ら十七世紀末に三都で活躍した職業的噺家【はなしか】達に始まり十八世紀末の上方・江戸双方での寄席【よせ】創設を経て、東西で影響しつつも独自の発展を遂げ、幕末から明治にかけてほぼ現在のような形に大成したといわれる。 鹿野武左衛門に始まる江戸の落語は、十八世紀後半の烏亭焉馬【うていえんば】の会咄を経て、初代三笑亭可楽【さんしようていからく】により寄席の芸能として確立した。その後天保の改革により大きな打撃を受けるが、幕末には再び復興し明治期の三遊亭円朝【さんゆうていえんちよう】・三代目柳家小【やなぎやこ】さんらにより大成された。江戸っ子の気質を反映して、派手な演出を排し、手拭い・扇子のみでさまざまな表現を行う「素噺【すばなし】」の淡泊な味わいを特徴とする。 一方上方の落語は、十七世紀末の京北野天満宮等での露【つゆ】の五郎兵衛【ごろべえ】、大阪生玉【いくたま】社の初代米沢彦八【よねざわひこはち】の辻咄【つじばなし】に始まり、十八世紀末初代桂文治【ぶんじ】により寄席の芸能として確立し、幕末から明治にかけて初代笑福亭吾竹【しようふくていごちく】・二代目桂文枝【ぶんし】・月亭文都【つきていぶんと】ら多くの名人により大成をみた。江戸の落語に比べ全体として派手で賑やかな演目が多く、下座【げざ】の囃子【はやし】を噺【はなし】の中に取り込む「ハメモノ」の演出や、見台【けんだい】を賑やかに叩いて演じる「入【い】れ込【こ】み噺【ばなし】」など、大阪弁の味わいとともに独自の特徴を有する。 このように東西それぞれに特徴を有する古典落語は、磨かれた話術で一人の噺家がさまざまな人物を描きわけ独自の笑いの世界を構築するもので、高度な芸術的表現力を要するものであり、またわが国の代表的芸能の一つとして、芸能史上大きな価値を有するものである。