国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
最上地方の山の神の勧進
ふりがな
:
もがみちほうのやまのかみのかんじん
最上地方の山の神の勧進(各戸をまわる子どもたち)
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年12月30日ほか(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
映像:『最上地方の山の神の勧進』(記録編・普及編)(企画文化庁・製作桜映画社・平成21年3月)
選択番号
:
選択年月日
:
2006.03.15(平成18.03.15)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
山形県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
最上地方の山の神の勧進(各戸をまわる子どもたち)
解説文:
詳細解説
最上地方の山の神の勧進は、集落の15歳以下の男子が山の神社に祀られている木製の御神像をもって「ヤマノカミノカンジン」と連呼しながら集落内の各家をまわり、山の神への供物である米や賽銭、菓子などを集めた後、御神像を飾ってお祀りする行事である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
最上地方の山の神の勧進(各戸をまわる子どもたち)
最上地方の山の神の勧進(新庄市赤坂地区の山の神社)
最上地方の山の神の勧進(各戸をまわる子どもたち)
最上地方の山の神の勧進(床の間に並べられた御神像と供物)
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最上地方の山の神の勧進(各戸をまわる子どもたち)
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最上地方の山の神の勧進(新庄市赤坂地区の山の神社)
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最上地方の山の神の勧進(各戸をまわる子どもたち)
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最上地方の山の神の勧進(床の間に並べられた御神像と供物)
解説文
最上地方の山の神の勧進は、集落の15歳以下の男子が山の神社に祀られている木製の御神像をもって「ヤマノカミノカンジン」と連呼しながら集落内の各家をまわり、山の神への供物である米や賽銭、菓子などを集めた後、御神像を飾ってお祀りする行事である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
山形県北部に位置する新庄市や最上郡を含む最上地方一帯では、春先や年末の12月頃に山の神の勧進と呼ばれる、山の神を祀る行事が行われている。 この行事は、集落の15歳以下の男子が集落の山の神社に祀られている木製の山の神の御神像をもって「ヤマノカミノカンジン」と連呼しながら集落内の各家をまわり、山の神への供物である米や賽銭、菓子などを集めた後、御神像を飾ってお祀りする行事である。 最上地方では山の神が里に降りてきて田の神になるといわれている4月2日、あるいは山の神の年越しの日である12月12日などを中心に行われている。集落内の15歳以下の男子はこの日の夜、山の神社やあらかじめ決めておいた宿に籠もり、翌日の朝、御神像を山の神社に戻して行事が終了するものであり、参加した子どものうち最年長者が一番大将、それ以下、二番大将、三番大将と役が決められ、彼らが行事一切を取り仕切るのが一般的であった。 例えば新庄市赤坂地区で行われている山の神の勧進は、12月30日に行われている。以前は12月12日に行っていたが、昭和50年頃から子どもが冬休みになる現在の日程で行うようになった。この行事は小学生と中学生の男子が行うもので、参加者の中で最上級生になる中学3年生が一番大将、中学2年生が二番大将、中学1年生が三番大将となって行われる。それぞれの学年に数人ずついればその全員がその役になる。一番大将が行事の一切を取り仕切ることになっており、行事の前には、その年不幸のあった家など山の神の勧進に回ってはいけない決まりになっている家を確認し、行事当日の集合場所や時間を決めて集落内に連絡しておく。 行事当日、子どもたちは集合すると山の神社に向かい、一番大将の指示で山の神を拝んだ後、祀られている山の神の御神像を持ち出す。この後それぞれが山の神の御神像を手に持って集落内の全戸をまわる。まわる順は毎年かわり、子どもの数が多いときには二手に分かれてまわる。各家の前にくると「山の神きました」と叫んで中に入り、「山の神の勧進、手のごけで三杯、三杯ずつで一六杯」と2回唱える。この後、米、賽銭、菓子をもらって次の家に行く。こうして全戸をまわり終わると公民館に戻り、床の間に持ちまわった山の神の御神像を祀り、膳を用意して供えると年少の子どもたちは家に帰り、大将たちだけが残って山の神をお祀りする。 夕方、集落内の各家の大人たちが酒を入れた徳利を持ってお参りにやってくる。徳利の酒を膳のコップに移し、お賽銭を供えて拝み、子どもたちに神酒をついでもらって飲んで帰っていく。以前は、集落のほとんどの家の大人がお参りにやってきたというが、現在では数人しかこなくなっている。 大人たちのお参りがほぼ済んだ夕方6時頃になると供えていた膳を片付る。この後、大将たちだけで山の神の御神像を持って山の神社に戻してくる。この山の神の御神像は木製で男の子が生まれた家や厄年の人がその記念に作って奉納するとされており、山の神社には数多くの手作りの御神像が納められている。 この行事は山形県内でも最上地方に広く見られる子どもを中心に行われる山の神の祭祀で、当該地方における山の神信仰の実態を知る上で貴重なだけでなく、我が国の山の神信仰を考える上でも注目される行事である。しかしいっぽうで、少子化の影響もあって行事が行われなくなったり、かつて行われていたお籠もりがなくなるなど、変容・衰退の恐れが高いことから早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)