国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
木坂・青海のヤクマ
ふりがな
:
きさか・おうみのヤクマ
木坂・青海のヤクマ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年旧暦6月初午の日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2012.03.08(平成24.03.08)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
長崎県
所在地
:
保護団体名
:
木坂区、青海区
木坂・青海のヤクマ
解説文:
詳細解説
本件は、海岸にヤクマの塔と呼ばれる円錐形の石積みを築き、御幣を立てて供物を供え、子どもの無事成長や家内安全などを祈願する行事である。木坂では、天道社に参拝し、ヤクマの塔を1基作り、御幣や供物を供えて拝む。青海でも、ヤクマの塔を2基作り、天道地に参拝し、御幣や供物を供えて拝む。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
木坂・青海のヤクマ
木坂・青海のヤクマ
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木坂・青海のヤクマ
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木坂・青海のヤクマ
解説文
本件は、海岸にヤクマの塔と呼ばれる円錐形の石積みを築き、御幣を立てて供物を供え、子どもの無事成長や家内安全などを祈願する行事である。木坂では、天道社に参拝し、ヤクマの塔を1基作り、御幣や供物を供えて拝む。青海でも、ヤクマの塔を2基作り、天道地に参拝し、御幣や供物を供えて拝む。
詳細解説▶
詳細解説
木坂・青海のヤクマは、海岸にヤクマの塔と称する円錐形の石積みを作り、供物を供え、子どもの無事成長や家内安全、五穀豊穣などを祈願する行事で、旧上県郡峰町の木坂と青海の2つの集落に伝承されてきた。 ヤクマは、かつては対馬全域で行われていた旧暦6月の行事で、大木の根元や海岸の大岩などの決められた場所に御幣を立てて供物を供えて参拝した。その起源は、明確でないが、午の日に行われることが多いため「厄午」の字をあて厄払いの行事として行っていた集落もあった。また、対馬独特の信仰ともいわれる天道信仰の聖地である天道地を拝所としていた集落も多く、今日でも円錐形の独特の石積みが残されている天道地もみられる。 木坂と青海は、対馬の中央部、西岸に互いに隣接して位置する半農半漁の集落で、磯漁やイカ釣りなどの漁業と薩摩芋の栽培や麦作などの農業が盛んで、かつては麦が主食であった。 木坂のヤクマは、まず午前中にトウマエ(当前)と呼ばれる当番の男性が氏神の海神神社の境内に祀られている天道社に参拝する。このトウマエは、集落の男性が年齢順に交代で務めることになっている。トウマエが参拝する間、集落の各家から一人ずつ男性が御前浜と称する海岸に集まる。そして協力して直径20~30㎝ほどの石を丁寧に積み重ねて直径約2㍍、高さ約2.5㍍の円錐形の石積みを1基作る。これはヤクマの塔と呼ばれ、最後に頂上にカラスイシと呼ばれる長さ50㎝ほどの縦長の石を立てる。塔ができあがると、トウマエが塔の頂上付近に御幣を立てて供物を供え、参加者全員でこれを拝む。供物は、現在はお神酒や菓子、魚のベラを竹串に刺して焼いたものであるが、かつてはこのほか、麦甘酒、小麦粉で作った団子である小麦餅、麦の初穂なども供え、麦の収穫に合わせた行事でもあった。ヤクマの塔を拝むと、その場で供物を飲食して終了になる。なお、天道様は女性を嫌うという理由で、女性は行事に参加することができない。 木坂では、かつて、集落を上のチョウ、中のチョウ、下のチョウの3つに分け、トウマエもそれぞれから1人ずつの計3人でて、ヤクマの塔も3基製作された。トウマエは、長男は隔年で2年、次男以下は1年務め、20歳前後でトウマエを務めることが多く、トウマエを務めると大人に仲間入りできるといわれたが、現在は少子化で該当者がほとんどなく、男子が産まれるとすぐにトウマエを務めなければならないことから、父親がトウマエを務め、トウマエのいない年は区長が代わりを務めている。 青海でも、午前中から区長が、隣集落である木坂の天道社に参拝する。その間、各家から1人ずつ男性が下の浜と称する海岸に集合して、木坂と同様に高さ1㍍ほどのヤクマの塔を2基作る。ここでも女性は参加できない。青海ではこのヤクマの塔とは別に、下の浜から内陸に数十㍍入ったところに高さ1㍍ほどの円錐形の石積みが恒常的に2基あり、これを天道の祠と呼び、その一帯の森を天道地としている。ヤクマの塔が完成すると、トウマエはまず天道の祠の頂上に御幣をさす。次いで、下の浜に戻って、完成したヤクマの塔の頂上付近に御幣をさし、お神酒や菓子などを供えて参加者全員で拝む。また、ここでもかつてはベラを竹串に刺して焼いたもの、麦甘酒、小麦餅、麦の初穂などを供えていた。その後供物を飲食して終了となる。 青海でも、かつては、集落を日向と陰の2つに分け、トウマエが1人ずつでた。トウマエは、年齢順に長男は隔年で2年、次男以下は1年務め、終わると大人に仲間入りできるとされた。現在は少子化でトウマエのなり手がおらず、区長がトウマエを務めている。なお、トウマエが2人でた頃は、日向のヤクマの塔を一番塔、陰のヤクマの塔を二番塔といった。 ヤクマは、かつては天道信仰を基盤としながら対馬全域に伝承されていたが、今日では少子化や過疎化のためほとんどが廃絶し、木坂と青海に伝承されるのみとなっている。また、木坂と青海のヤクマも、かつてみられた通過儀礼や麦の収穫祭としての性格が、少子化や麦作の衰退とともにみられなくなりつつある。天道信仰を基盤としたヤクマと呼ばれる行事の典型例の1つであり、我が国の民間信仰を考える上でも注目されるが、衰退・変容のおそれが極めて高いことから早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)