記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
 主情報
名称 江戸の糸あやつり人形
ふりがな えどのいとあやつりにんぎょう
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種別1 民俗芸能
種別2 渡来芸・舞台芸
その他参考となるべき事項
選択番号 1
選択年月日 1996.11.28(平成8.11.28)
追加年月日
選択基準1
選択基準2
選択基準3
所在都道府県、地域 東京都
所在地
保護団体名 結城座

解説文:
 糸あやつり人形芝居は十七世紀ころから上方、江戸で行われていたものの、明治維新の混乱期に、絶滅寸前にまで至った。江戸の糸あやつり人形の常打小屋であった日本橋堺町芝居町の結城座も、維新とともに座を閉じたが、座元結城孫三郎の縁筋にあたる写絵の名人両川亭船遊【りょうかわていせんゆう】の子息清太郎が、明治中期に糸あやつり人形を、改良を加えつつ再興した。当人は九代目結城孫三郎を名乗り一世を風靡する活動を示した。同人は人形につける糸数の多い手板【ていた】方式による操法によって人形の動きがリアルなものになるよう工夫し、また人形の遣い手自らが歌舞伎俳優の声色を使ったりするようにし、さらに、岩藤の骨寄せの場面にヒントを得て骸骨踊を考案するなど新規の演出振りを示して人気を博した。結城座は寄席に出演することとなったが、そのため他の寄席の客が不入りとなったり、また他の糸あやつり人形の座が東京を追われることとなった。
 この結城座の糸あやつりの伝統は、一〇代目孫三郎を経て今日に伝えられているが、現在「寿獅子【ことぶきじし】」「伊達娘恋緋鹿子【だてむすめこいのひがのこ】」「本朝二十四孝【ほんちょうにじゅうしこう】」などの伝統的な演目を義太夫の語りによって上演するほか、西欧の作品など新しい演目の上演も意欲的に行っている。
 結城座の糸あやつりは、出雲系の糸あやつりに比べて糸数が多く、巧みに人形を遣いこなす江戸の糸あやつり人形の伝統を継承するとともに、明治維新の新しい時代の息吹きを盛り込んだ演目の上演や演出にも力を入れて上演されているものであり、芸能の変遷の過程を示し、江戸、東京の土地柄をよく反映した内容のものとなっているなど貴重な伝承である。
関連情報
    (情報の有無)
  添付ファイル なし