国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
乙父のおひながゆ
ふりがな
:
おつちのおひながゆ
乙父のおひながゆ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年4月3日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1998.12.01(平成10.12.01)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
群馬県
所在地
:
保護団体名
:
おひながゆ保存会
乙父のおひながゆ
解説文:
詳細解説
この行事は、野外で共同飲食する野遊びの行事と雛祭りの行事が結びついたものである。毎年4月3日に8歳くらいから中学生くらいまでの男女が川原に集まってシロと呼ばれる石囲いを作り、この一隅に壇を作って雛人形を飾り、石で竈を築いて粥を炊いて食べたり、遊んだりする。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
乙父のおひながゆ
乙父のおひながゆ
乙父のおひながゆ
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乙父のおひながゆ
解説文
この行事は、野外で共同飲食する野遊びの行事と雛祭りの行事が結びついたものである。毎年4月3日に8歳くらいから中学生くらいまでの男女が川原に集まってシロと呼ばれる石囲いを作り、この一隅に壇を作って雛人形を飾り、石で竈を築いて粥を炊いて食べたり、遊んだりする。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
乙父のおひながゆは、毎年4月3日に8歳くらいから中学生くらいまでの男女の子どもによって行われる行事である。 当日までに子どもたちは神流川右岸の川原に、田平、乙父、神寄の各字ごとにシロを作る。かつては、正月が過ぎると子どもたちが集まり、川原に下りて川原石を拾い集め、円形に積み上げて少しずつシロを作ったという。シロの大きさは、高さ30~40㎝、直径数㍍ほどである。このシロは、以前は川の氾濫で流されることが多く、数年に1度ずつ作り替えていたが、現在は河川改修等により川が氾濫することもほとんどなくなったため長持ちするようになった。 シロの南側に当たる壁の内側に平らな壇を作りお雛様を飾る。このお雛様は川を挟んだ山の中腹に祀られている天神様に向けて飾るといわれており、北側(川の流れ側になる)には出入り口が作られる。 4月3日は朝5時半頃から自分の食器のほか、それぞれが分担してお雛様、こたつ、布団、こたつ板、ゴザ、遊びの道具などを持って川原のシロに集まる。集まるとシロのなかに、以前は莚、今はビニールシートを敷き、その上にこたつを作る。この後、親にも手伝ってもらいながら、川原に作った竈に鍋をかけて粥を炊き、みそ汁を煮て、こたつでそれぞれが持ち寄った漬け物やおかずなどと一緒に食べる。 この間、年長者が年少者の面倒をみながら行事が行われ、食事がすむと、トランプやゲームをしたりお菓子を食べるなどしながら思い思いに過ごし、昼前には行事が終了する。 この行事は、以前は子どもだけで行われていたが、現在では地区の役員や育成会の大人たちに手伝ってもらいながら行われるようになっている。 地元では三月節供の行事と伝えられているが、本来はかつて広く全国で行われていた春の野遊びの行事に雛祭りの行事が結びついたものである。現在では、このように川原など屋外に竈を作り、煮炊きして食べるという例は少なくなっている。群馬県内では片品村などでも行われていたことが知られているが現在は行われておらず、上野村でも楢原や塩の沢のおひながゆは絶えてしまった。また、長野県北相木村京の岩のカナンバレの際も、雛人形を流す前に川原で汁粉を作って食べていたが、現在では学校行事となり、親が用意した汁粉を食べるように変わっている。 この行事は、野外で共同飲食する野遊びの行事と雛祭りが結びついた行事であり、かつてはこの地域で広く行われていたものであるが、現在はごく一部で行われるのみとなっており、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)