国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
大磯の七夕行事
ふりがな
:
おおいそのたなばたぎょうじ
大磯の七夕行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月6・7日(西小磯東地区)、毎年8月7日前後の土・日曜日(西小磯西地区)(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『大磯の七夕行事』(企画文化庁・製作(株)TEM研究所・平成31年3月)
選択番号
:
1
選択年月日
:
2002.02.12(平成14.02.12)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
神奈川県
所在地
:
保護団体名
:
西小磯東七夕保存会、西小磯西子ども育成会
大磯の七夕行事
解説文:
詳細解説
この行事は、大磯町西小磯に伝承されている行事で、地区内の穢れ祓いや農作物の豊作を祈る雨乞いなどを祈念して行われる。子どもたちが短冊をつけた竹飾りで地面を叩いて歩いたり、竹飾りを用いて作ったタケミコシと呼ばれる龍形の作り物を担いで地区内を巡り、翌日早朝にタケミコシを海に流す。
(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
大磯の七夕行事
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大磯の七夕行事
解説文
この行事は、大磯町西小磯に伝承されている行事で、地区内の穢れ祓いや農作物の豊作を祈る雨乞いなどを祈念して行われる。子どもたちが短冊をつけた竹飾りで地面を叩いて歩いたり、竹飾りを用いて作ったタケミコシと呼ばれる龍形の作り物を担いで地区内を巡り、翌日早朝にタケミコシを海に流す。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
大磯の七夕行事は、神奈川県中郡大磯町西小磯に伝承されている行事で、子どもたちが唱え事をしながら、短冊を付けた竹飾りや、その竹飾りを用いて作ったタケミコシと呼ぶ作り物を担いで地区内をお祓いした後、翌日の早朝に海に流す行事である。穢れ祓いや雨乞いなどを祈念する七夕行事であり、毎年、8月初旬に月遅れの行事として行われている。 西小磯は、南を相模湾、北を大磯丘陵に挟まれ、地引網中心の漁業と畑作中心の農業を営んできた半農半漁の地域である。西小磯東と西小磯西の2地区からなり、東地区は8月6・7日に、西地区は8月7日前後の土・日曜日に七夕行事を行っている。 この行事は、小・中学生を主体として、地縁集団である組ごとに組織された子供連を単位に行われてきたものである。現在、東地区では西小磯東七夕保存会のもとに西分と東分の2つの組の子供連ごとに行っており、西地区ではかつては本郷、田中、高砂、中、西の五つの組の子供連ごとに行ってきたが、現在は西小磯西子ども育成会を中心に地区全体の行事となっている。 行事の当日は、子どもたちがそれぞれの家の軒先や門口に立ててあった竹飾りを持って宿へ向かう。西地区では朝8時半頃から、東地区では午後1時頃から始まる。竹飾りは、青竹に色紙で作った短冊やアミと呼ばれる切れ目を入れた三角形の飾りをたわわに結び付けたものである。宿は、かつては子供連の中で籤引きを行い、その年の宿となる家を決めていたが、10年ほど前から地区内にある公共の施設を利用している。宿の前には、行事当日朝に、子どもたちが描いた絵を張ったマンドウが立てられる。 子どもたちが宿に集まると、オハライあるいはオマイリといって、各自が竹飾りを1本ずつ担いで地区内を祓い清めてまわる。子どもたちは行列を作って、「エートッセ」などと掛け声をかけながら地区内を歩き、神社や水神、セーノカミ(道祖神)などの石祠、橋、辻などで立ち止まって、「ナム セキソン ダイテンノウ ショウテンノウ……(中略)……フードンドンフードンドン」などと唱えながら、竹飾りを地面に繰り返し叩きつけてお祓いをする。子どもたちは地区内を一巡すると宿に戻り、西瓜や安倍川餅などを食べて休憩する。 その後、再び同じ順路で地区内を巡る。かつては、何回も地区内を巡ったというが、近年は子どもの数の減少もあって、一、二巡する程度になっている。 西地区では地区内を一巡した後、七夕踊りといって、子どもたちが面をつけて、簡単な手踊りをしながら各家を訪れて賽銭をもらう。この七夕踊りは西地区のみに伝承されているものである。 その後、オハライに使用した竹飾りを用いてタケミコシが作られる。ミコシは竹飾りを束ねて縄で巻いていき、その途中に担ぐための竹を横に数本差し込んだもので、束ねた竹飾りの先端部分は曲げて括り、その中央には形のよい竹飾りを1本だけ選んで立てる。これは龍の形を模しているといわれている。ミコシ作りは、西地区では午後1時頃から、東地区では夕方から始められる。ミコシが完成すると、今度はそれを担いで地区内を一巡する。西地区では担いでまわるだけであるが、東地区では竹飾りによるオハライと同様に、神社や石祠などの前で止まり、唱え事をしながらミコシを上下に激しく振り動かす。地区内を一巡すると宿に戻り、ミコシを安置して解散となる。かつては、子どもたちはそのまま宿に泊まったという。 翌日は、早期6時半頃に子どもたちが再び宿に集まり、ミコシを担いで海岸まで行き、流し出す。西小磯の子どもは、このときに沖までミコシを流し出すことで泳ぎを覚えたといわれている。近年は大人が代わりに行い、子どもが海へ入ることはほとんどなくなってきている。 竹飾りやタケミコシで地域内を祓ってまわるのは、盆に精霊を迎えるにあたり、集落内を清めるため、あるいは干ばつを防いで、農作物の豊作を祈る雨乞いの意味があるなどといわれる。また、かつて悪い病気が流行したときに竹を担いで疫病神をよそへ追い出したのがこの行事のはじまりであるとも伝えられている。 この行事は、盆に精霊を迎える前の穢れの祓えや降雨を祈る農耕儀礼的な性格がみられ、民間習俗としての側面を濃厚に残している七夕行事として注目される。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)