国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形文化財
主情報
名称
:
富本節
ふりがな
:
とみもとぶし
解説表示▶
種別1
:
芸能
種別2
:
音楽
その他参考となるべき事項
:
指名区分
:
選択年月日
:
1957.03.30(昭和32.03.30)
選択基準1
:
選択基準2
:
選択基準3
:
地域
:
解説文:
富本節【とみもとぶし】はいわゆる江戸浄瑠璃の一派で、常磐津節より分かれて始まり、後にここから清元節が生まれた。安永、天明期を全盛として以後は衰退の一途をたどり、今日ではその演奏に接する機会はほとんどない。曲調が常磐津のそれより派手であり、天明期らしく濃艶で、江戸歌舞伎の出語【でがた】りとして一世を風靡し、品格の高いものとして家庭の子女の間でも流行した。しかし声の使い方に千変万化の妙を尽くし、一層細かい微妙な節廻しの清元の出現の前に、影を薄くしてしまった。「其俤浅間嶽【そのおもかげあさまがだけ】」や「鞍馬獅子【くらまじし】」など幽艶な曲にそのおもしろさを発揮した。
これを開いたのは初代常磐津文字太夫の門人小文字太夫で富本豊前掾【ぶぜんのじょう】を名のった。全盛期をつくり出したのは二代目豊前掾で四代目まで続いたが、明治二二年一時家元が絶えてしまった。その後復活されたものの僅かに命脈を保つのみで、伝承者富本都路【とみもとみやこじ】も遂に没した。
関連情報
(情報の有無)
保持者情報(保持者/芸名・雅号)
なし
団体情報
なし
添付ファイル
なし
解説文
富本節【とみもとぶし】はいわゆる江戸浄瑠璃の一派で、常磐津節より分かれて始まり、後にここから清元節が生まれた。安永、天明期を全盛として以後は衰退の一途をたどり、今日ではその演奏に接する機会はほとんどない。曲調が常磐津のそれより派手であり、天明期らしく濃艶で、江戸歌舞伎の出語【でがた】りとして一世を風靡し、品格の高いものとして家庭の子女の間でも流行した。しかし声の使い方に千変万化の妙を尽くし、一層細かい微妙な節廻しの清元の出現の前に、影を薄くしてしまった。「其俤浅間嶽【そのおもかげあさまがだけ】」や「鞍馬獅子【くらまじし】」など幽艶な曲にそのおもしろさを発揮した。 これを開いたのは初代常磐津文字太夫の門人小文字太夫で富本豊前掾【ぶぜんのじょう】を名のった。全盛期をつくり出したのは二代目豊前掾で四代目まで続いたが、明治二二年一時家元が絶えてしまった。その後復活されたものの僅かに命脈を保つのみで、伝承者富本都路【とみもとみやこじ】も遂に没した。