国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形文化財
主情報
名称
:
一絃琴
ふりがな
:
いちげんきん
解説表示▶
種別1
:
芸能
種別2
:
音楽
その他参考となるべき事項
:
指名区分
:
選択年月日
:
1980.04.04(昭和55.04.04)
選択基準1
:
選択基準2
:
選択基準3
:
地域
:
解説文:
一絃琴は細長い板(胴)の上に一本の絃をはっただけの単純な楽器で、胴の表面には感所【かんどころ】を示すための一二の螺鈿または象牙製の印(徽【き】)がほどこされている。この楽器の伴奏で古今集等の和歌や催馬楽【さいばら】、神楽などの古歌その他古典を題材としたものが歌われる。
一絃琴の由来については、在原行平が須磨に流罪になったおり庇の板をもってこれを作った(このことから須磨琴ともいう。)との俗説もあるが、その形状は中国の琴に由来したものと考えられている。今日の一絃琴は、宝暦・明和の頃、河内の国金剛輪寺の僧覚峰【かくほう】が世に広めたのがはじめとされ、幕末の頃大坂で真鍋豊平が新曲を多く発表し、京・大坂を中心に一絃琴は隆盛をみた。明治になって東京にも普及したが、次第に衰微し、戦後は、高知の秋沢久寿栄、東京の山城一水、京都の倉知志ん、平野ヨシ等(いずれも故人)によって守られてきたが、現在は、これらの系譜に連なる人達が、東京、高知、京都、兵庫、神奈川などの地で一絃琴を伝承している。
一絃琴は、「清虚洞【せいきよどう】一絃琴譜」(徳弘太橆【たいむ】)、「一絃琴正曲譜」(島田勝子)、「藻汐草」その他の譜本の系列に大別できるが、幕末以後一絃琴が隆盛の地であった高知では、「一絃琴正曲譜」系の一絃琴が伝えられている。そこでの琴の奏法は、「清虚洞一絃琴譜」系が男性的なのに対して女性的であり、清音を尊ぶ一絃琴の本趣を守っている。
関連情報
(情報の有無)
保持者情報(保持者/芸名・雅号)
団体情報
なし
添付ファイル
なし
解説文
一絃琴は細長い板(胴)の上に一本の絃をはっただけの単純な楽器で、胴の表面には感所【かんどころ】を示すための一二の螺鈿または象牙製の印(徽【き】)がほどこされている。この楽器の伴奏で古今集等の和歌や催馬楽【さいばら】、神楽などの古歌その他古典を題材としたものが歌われる。 一絃琴の由来については、在原行平が須磨に流罪になったおり庇の板をもってこれを作った(このことから須磨琴ともいう。)との俗説もあるが、その形状は中国の琴に由来したものと考えられている。今日の一絃琴は、宝暦・明和の頃、河内の国金剛輪寺の僧覚峰【かくほう】が世に広めたのがはじめとされ、幕末の頃大坂で真鍋豊平が新曲を多く発表し、京・大坂を中心に一絃琴は隆盛をみた。明治になって東京にも普及したが、次第に衰微し、戦後は、高知の秋沢久寿栄、東京の山城一水、京都の倉知志ん、平野ヨシ等(いずれも故人)によって守られてきたが、現在は、これらの系譜に連なる人達が、東京、高知、京都、兵庫、神奈川などの地で一絃琴を伝承している。 一絃琴は、「清虚洞【せいきよどう】一絃琴譜」(徳弘太橆【たいむ】)、「一絃琴正曲譜」(島田勝子)、「藻汐草」その他の譜本の系列に大別できるが、幕末以後一絃琴が隆盛の地であった高知では、「一絃琴正曲譜」系の一絃琴が伝えられている。そこでの琴の奏法は、「清虚洞一絃琴譜」系が男性的なのに対して女性的であり、清音を尊ぶ一絃琴の本趣を守っている。
関連情報
保持者情報(保持者/芸名・雅号)
稲垣積代
関連情報
保持者情報(保持者/芸名・雅号)
保持者(関係技芸者)の氏名
:
稲垣積代
保持者(関係技芸者)の氏名 ふりがな
:
いながきつむよ
保持者(関係技芸者)の芸名・雅号等
:
保持者(関係技芸者)の芸名・雅号等 ふりがな
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認定・指定年月日
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1980.04.04(昭和55.04.04)
認定区分
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認定書の交付又は再発行の年月日(選択書の交付年月日)
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認定書(選択書)の記号番号
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