国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
勝尾城筑紫氏遺跡
ふりがな
:
かつのおじょうちくししいせき
勝尾本城跡の石垣(北から)
写真一覧▶
地図表示▶
詳細解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
4
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2006.01.26(平成18.01.26)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2012.01.24(平成24.01.24)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
佐賀県
所在地(市区町村)
:
鳥栖市牛原町・河内町・山浦町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
勝尾本城跡の石垣(北から)
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
勝尾本城跡の石垣(北から)
写真一覧
勝尾本城跡の石垣(北から)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
詳細解説
勝尾城筑紫氏遺跡は、鳥栖市北西部に所在する標高501m余の城山とその山麓の谷筋を中心に広がる戦国時代後期の筑紫氏の城下町を含む城館群である。この地は、筑前・筑後に接する交通の要地である。筑紫氏は、少弐氏から分かれたとされる武士で、明応年間(1492〜1501)に当城に入ったとされる。その後、筑紫氏は、周辺の戦国大名と同盟あるいは敵対し、めまぐるしく活動するが、天正14年(1586)島津氏に攻められ落城する。翌15年には筑紫氏は、豊臣秀吉により転封され、当城は廃城となる。平成7年からの鳥栖市教育委員会による計画的な発掘調査の実施により、遺跡の全体構造が明らかになりつつある。勝尾本城跡は、城山山頂にあり、東西約300m、南北約250mを測り、東側には小規模な石材を積み上げた石垣塁線と横堀が見られる。また、南山麓には瓦葺の建物と庭園を伴う館跡が所在し、5つの支城に防備された谷部には城下町が配置されていた。城下町は、長大な堀と土塁によって画された4つの空間があり、それぞれ家臣団屋敷跡、寺社、町屋跡などが所在する。調査の結果、出土した遺物は、輸入陶磁器・国内産陶器・瓦器・瓦などであり、陶磁器の時期は16世紀後半を主体とする。当城跡には、江戸期に描かれた「肥前州基肄郡勝尾山筑紫広門公城跡之図」が残されており、現地とよく照合できる。このように、本遺跡は戦国期における城下町の様子がよく表しており、保存状態が良好であり、戦国期の歴史を考える上で重要である。
関連情報
指定等後に行った措置
2010.02.22(平成22.02.22)
2012.01.24(平成24.01.24)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2010.02.22(平成22.02.22)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2012.01.24(平成24.01.24)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: