国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
小島陣屋跡
ふりがな
:
おじまじんやあと
小島写真
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
111
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2006.07.28(平成18.07.28)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2009.02.12(平成21.02.12)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
静岡県
所在地(市区町村)
:
静岡市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
小島写真
解説文:
詳細解説
小島藩(滝脇松平氏)が築いた陣屋跡で、甲州往還西側の交通の要衝に立地する。石垣を多用した3段の郭を有し、大手の石垣は高さ4mの規模を持つ。発掘調査により土蔵建物や石段、排水路等を確認。御殿の書院建物も移築され現存する。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
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解説文
小島藩(滝脇松平氏)が築いた陣屋跡で、甲州往還西側の交通の要衝に立地する。石垣を多用した3段の郭を有し、大手の石垣は高さ4mの規模を持つ。発掘調査により土蔵建物や石段、排水路等を確認。御殿の書院建物も移築され現存する。
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詳細解説
小島陣屋跡は、静岡県の中央部に位置し、興津川(おきつがわ)右岸の標高約60mの河岸段丘上に立地する滝脇松平家1万石の陣屋跡である。陣屋跡の西側には急峻な山地が控え、西から南側には陣屋跡を取り巻くように別当沢(べっとうざわ)が深い谷を形成している。陣屋跡の東側を東海道の興津宿(おきつしゅく)から分岐して甲府に至る身延道(みのぶみち)とも呼ばれる甲州往還が通る。 滝脇松平家3代の信孝(のぶなり)は、元禄2年(1689)に若年寄に昇進して加増され、1万石の大名に列した。同11年(1698)、4代信治(のぶはる)の時に1万石の所領が全て駿河国安倍・有度(うど)・庵原(いはら)の3郡にまとめられた。小島藩は宝永元年(1704)に小島に陣屋を築き、幕末まで10代にわたり藩政を営んだ。 小島陣屋跡は、昭和54年、平成14・15年に清水市(現静岡市)教育委員会により発掘調査が実施され、陣屋の縄張りと建物跡・通路跡・虎口(こぐち)周辺の構造等が明らかとなった。東西約150m、南北約200mを測り、御殿の西側から南側にかけて石垣を多用した3段の郭(くるわ)で構成され、石垣の高さは大手では4mに達するものもある。石垣の積み方は、大手口・御殿南側・馬場・大手に通じる坂道などでは、比較的大きめの割石による切り込みはぎ積みの丁寧な造りで、隅角は算木積(さんぎづ)みを用いている。桝形虎口や別当沢に面する南側石垣などは、大小の自然石や粗加工石を用いた落とし積みを多用した簡略な造りである。 発掘調査の結果、御殿跡北側で長径1.1mの楕円形の井戸跡、東側で一辺4.6m四方の布基礎をもつ土蔵跡と考えられる建物遺構、大手門への通路石段、排水路等を確認している。出土遺物は、幕末から明治にかけての日常生活用の国内産陶磁器類が中心であるが、18世紀前半の瀬戸・美濃産の丸碗も出土し、築城時期との関連から貴重である。 明治4年(1871)、陣屋跡地に小学校(包蒙舎(ほうもうしゃ))が開設され、御殿建物の一部は校舎として利用され、運動場が造成されるなどの改変を受けたが、昭和3年、小学校の移転に伴い、御殿の書院建物は陣屋跡東側に広がる小島本町の町中に移築され、現在まで小島公会堂として利用されている(市指定文化財)。 小島陣屋跡は、城郭を思わせる石垣が良好に残り、発掘調査によって良好な建物遺構等が確認されており、また、御殿の書院建物が移築されながらも現存するなど、江戸期における大名陣屋のあり方と構造を知るうえで貴重である。
関連情報
指定等後に行った措置
2009.02.12(平成21.02.12)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2009.02.12(平成21.02.12)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
: