国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
平城宮東院庭園
ふりがな
:
へいじょうきゅうとういんていえん
全景
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種別1
:
特別名勝
種別2
:
時代
:
古代
年代
:
8世紀
西暦
:
面積
:
14149.9 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
114
特別区分
:
特別
指定年月日
:
2009.07.23(平成21.07.23)
特別指定年月日
:
2010.08.05(平成22.08.05)
追加年月日
:
指定基準
:
一.公園、庭園
所在都道府県
:
奈良県
所在地(市区町村)
:
奈良市法華寺町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
全景
解説文:
詳細解説
平城宮の東(ひがし)張出(はりだし)部(ぶ)東南隅部で発見・修復された庭園。日本古来の庭園文化と大陸伝来の庭園文化との融合の過程を知る上で極めて高い造園史上の価値を持ち、独特の意匠・構造・技法が精緻な修復により再生された庭園として芸術上・観賞上の価値は高い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
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築山石組
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築山石組
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解説文
平城宮の東(ひがし)張出(はりだし)部(ぶ)東南隅部で発見・修復された庭園。日本古来の庭園文化と大陸伝来の庭園文化との融合の過程を知る上で極めて高い造園史上の価値を持ち、独特の意匠・構造・技法が精緻な修復により再生された庭園として芸術上・観賞上の価値は高い。
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詳細解説
名勝平城宮東院庭園は、8世紀に平城宮の東張出部東南隅に造営された大規模な池を伴う庭園である。昭和42年の発掘調査で発見されると、昭和45年に特別史跡「平城宮跡」の一部として追加指定され、引き続き行われた発掘調査により、意匠・構造上の特質、時期・変遷等の全貌が明らかとなった。現在までに、その全域が良好な状態で発見された8世紀の庭園は、平城宮東院庭園と特別史跡及び特別名勝平城京左京三条二坊宮跡庭園の僅か2例しかなく、極めて希少な事例として貴重である。 池の北端の低い築山上に位置する石組は、多数の石を用いた本格的な庭園石組としては我が国最古の事例であり、正倉院宝物の「仮(か)山(さん)」とも共通の形態・意匠を持つ貴重な遺構である。また、池の北西と南には蛇行石組溝が発見された。植栽された樹木は、発掘調査により出土した植物遺体に基づき、アカマツ・ヤナギ・ウメ・モモ・センダンなどであったと推定されている。池の変遷には、7世紀における飛鳥地方の庭園の池に多用された直線及び垂直状の石積を持つ護岸手法から、優美な曲線及びなだらかな洲浜状(すはまじょう)の汀線(ていせん)を持つ護岸手法へと、庭園の意匠・工法が大きく変化したことが見て取れる。それは、中国及び朝鮮半島から伝わったと考えられる造庭技法を消化し、9世紀以降の寝殿造住宅庭園や浄土庭園に見る独自の意匠・工法へと転化を遂げようとする重要な段階を示している。特に、平城京左京三条二坊宮跡庭園の洲浜が部分的であるのに対し、平城宮東院庭園の洲浜が園池の全体に施されていることは、9~12世紀の日本庭園において主流となる洲浜の意匠・構造が、この庭園において確立したことを明示している。 このような平城宮東院庭園が持つ希少性と後代の庭園に与えた影響は、近年、国際的にも高く評価されるようになった。 また、平城宮東院庭園は、後期の池の形姿を基本としつつ修復された後、平成10年から一般に公開され、平成21年に庭園全体が名勝に指定されたことにより、その価値がさらに広く国民全体に知られるようになった。 以上のように、平城宮東院庭園は8世紀における日本古来の庭園文化と大陸伝来の庭園文化との融合の段階及びその後の日本庭園の意匠・構造に与えた影響を知る上で極めて高い造園史上の価値を持つ希少事例であり、その独特の意匠・構造・技法が精緻な修復により見事に再生され、庭園としての芸術上・観賞上の価値も極めて高いことから、特別名勝に指定するものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2010.08.05(平成22.08.05)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2010.08.05(平成22.08.05)
異動種別1
:
特別名勝
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: