国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
大鳥井山遺跡附陣館遺跡
ふりがな
:
おおとりいやまいせきつけたりじんだていせき
大鳥井山遺跡(土塁)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古代、中世
年代
:
西暦
:
面積
:
120479.23 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2010.02.22(平成22.02.22)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
秋田県
所在地(市区町村)
:
秋田県横手市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
大鳥井山遺跡(土塁)
解説文:
詳細解説
秋田県横手盆地の中部東縁に位置する、10世紀後半から11世紀末の居館跡。主要部周囲を大規模な土塁・空堀が二重に巡り、防御性の高い居館であることが確認された。前九年合戦の経過を述べた『陸奥話記』に記される清原光頼・頼遠の居館跡と考えられる。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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大鳥井山遺跡(土塁)
大鳥井山遺跡(四面廂付建物跡)
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大鳥井山遺跡(土塁)
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大鳥井山遺跡(四面廂付建物跡)
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解説文
秋田県横手盆地の中部東縁に位置する、10世紀後半から11世紀末の居館跡。主要部周囲を大規模な土塁・空堀が二重に巡り、防御性の高い居館であることが確認された。前九年合戦の経過を述べた『陸奥話記』に記される清原光頼・頼遠の居館跡と考えられる。
詳細解説▶
詳細解説
大鳥井山遺跡は、秋田県南部に広がる横手盆地中部東縁に位置する11世紀を中心に営まれた居館跡である。遺跡は、西側を横手川、北側を吉沢川、南側を明永川に限られた大鳥井山と小吉山の二つの独立丘陵に立地する。遺跡の西側には旧羽州街道が南北にはしり、街道を挟んで東側の丘陵上には同時代の台処館跡がある。11世紀の横手盆地は山本・平鹿・雄勝の三郡からなり、前九年合戦や後三年合戦で知られる清原氏の勢力範囲の中心であった。また前九年合戦の経過を述べた『陸奥話記』によれば、安倍一族の安倍正任が「初め出羽の(清原)光頼が子、字は大鳥山太郎頼遠の許に隠る」という記述があることから、大鳥井山と小吉山周辺が清原氏当主の清原光頼とその子頼遠の根拠地と比定されてきた。 横手市教育委員会では昭和52年から7次にわたり、小吉山地区において都市公園建設に伴う事前の発掘調査を行い、その結果、小吉山の北側と東側には二重の土塁・堀と柵列が巡り、防御性の高い居館跡であることがわかった。土塁の規模は外側が最大幅9.2m、高さ1.6m、内側が最大幅3.8m、高さ0.6mで、堀の規模は外側が最大幅8.8m、深さ2.5m、内側が最大幅3.7m、深さ1.2mである。また土塁・堀の内側平坦面は最大幅4mの大溝により南北に区画される。大溝の北側地区では17棟の、南側地区では43棟の掘立柱建物を検出した。これらの建物群は大きく分けて10世紀後半、11世紀前葉から中葉、11世紀後様の三時期の変遷がある。Ⅰ期は東または西に30度前後傾く建物方位をもち、Ⅱ・Ⅲ期の建物方位は北向きとなるものが多い。各時期を通して梁行・桁行ともに1間の建物が多いが、Ⅱ期以降になると桁行2間、梁行2間以上の大型建物も見られる。出土遺物は、多数のロクロ土師器の他、須恵器・白磁・常滑四耳壺・須恵器系中世陶器や、扇などの木製品、刀子などの金属製品など多様である。出土遺物の大部分を占めるロクロ土師器の年代の主体は10世紀後半から11世紀末であり、前九年合戦や後三年合戦と同時期の遺跡であることがわかる。 横手市教育委員会は、これら小吉山地区の調査成果と、近年大きく進展した奥州藤原氏とその前身である清原氏関連遺跡の研究成果をうけ、大鳥井山遺跡全体の保存と活用を図ることを計画し、平成19年から3カ年にわたる大鳥井山地区の内容確認のための発掘調査を実施した。その結果、小吉山地区とほぼ同規模でしかも遺存状態の良好な土塁と堀が二重に周囲を巡ることが確認された。また、山頂部平坦面では梁行2間、桁行5間の大型四面廂付掘立柱建物と、土橋を伴う二重の大溝も検出された。出土遺物の主体を占めるのは11世紀前半のロクロ土師器であり、大鳥山井地区で確認した主要な遺構の多くはⅡ期に築かれたものである。 発掘調査により明らかとなった、河川と道路に挟まれた独立丘陵を土塁と堀により囲むという構造は、奥州藤原氏の拠点「平泉館」とされる岩手県柳之御所遺跡や、福島県陣が峯城跡など12世紀に奥州に築かれた居館と類似し、大鳥井山遺跡がこれらの遺跡の築造方法に影響を与えていた可能性も考えられる。 このように大鳥井山遺跡は、東北地方の古代末から中世への移行期における地方豪族の居館の構造、建物配置、遺構の変遷などの内容が具体的に把握され、前九年合戦・後三年合戦の内容を記した文献に現れる清原氏に関連する遺跡の内容を具体的に知ることのできる希有な例と考えられる。よって、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。