国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡
ふりがな
:
あらふね・あずまやふうけつさんしゅちょぞうしょあと
荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(荒船風穴)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
近代
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2010.02.22(平成22.02.22)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
群馬県
所在地(市区町村)
:
群馬県甘楽郡下仁田町、吾妻郡中之条町
保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(荒船風穴)
解説文:
詳細解説
明治から昭和初期にかけて、天然の冷風を使用して蚕種を貯蔵した施設。荒船風穴は全国一の収納量(100万枚)を誇り、その取引先は全国に及んだ。東谷風穴は地域単位の風穴として全国有数の規模である。ともに近代の養蚕業を知る上で貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(荒船風穴)
荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(東谷風穴)
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荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(荒船風穴)
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荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(東谷風穴)
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解説文
明治から昭和初期にかけて、天然の冷風を使用して蚕種を貯蔵した施設。荒船風穴は全国一の収納量(100万枚)を誇り、その取引先は全国に及んだ。東谷風穴は地域単位の風穴として全国有数の規模である。ともに近代の養蚕業を知る上で貴重である。
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詳細解説
荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡は、明治時代後半から大正・昭和初期にかけて、蚕種の孵化時期を調整するため、天然の冷風の吹き出し口を掘り下げて石垣を組み、覆屋を設けて冷風を閉じこめて内部に蚕種を貯蔵した施設である。 前近代には年に一度の春季の養蚕飼育が一般的であった。明治以後、崩落・堆積した岩砕の岩の隙間や、溶岩の流下に伴い形成された洞穴等において、天然の冷風が吹き出す地形現象=風穴=を利用した養蚕飼育の多回育化が進展した。この風穴を利用した蚕種貯蔵は、増大する生糸輸出需要をまかなうための原料繭の生産増大に大きく寄与し、大正後期以降昭和初期に機械式冷蔵庫が普及するまで、養蚕・製糸業の一翼を担った。 風穴の利用が明治30年代末以降全国で本格化すると、政府は明治44年(1911)蚕業取締規則を制定し、全国の風穴を地方長官の許可制のもとに置き全国把握に乗り出した。これは蚕業冷蔵取締制度が廃止される大正6年度(1917)まで続いた。農商務省農務局『蚕業取締成績』(大正元年~6年度)によれば、全国32府道県239カ所の風穴事業が確認でき、大正6年度の場合、全国222カ所のうち105カ所が長野県に所在し、山梨県(23カ所)、山形県(15カ所)、岐阜県(12カ所)がこれに続き、群馬県は7カ所となっている。現在これらの風穴の多くは消滅し、また所在が不明なものが多い状況であるが、群馬県内には、下仁田町と中之条町に貯蔵風穴が良好に残存している。 下仁田町の荒船風穴蚕種貯蔵所は、下仁田町中心街から西方約16kmの長野県境に近い標高840m前後の沢沿いの傾斜地に所在する。地元の養蚕家庭屋静太郎が経営する春秋館のもと、明治38年(1905)から大正時代初頭にかけて造られた3基の大規模な施設を有し、蚕種貯蔵能力は110万枚で全国一を誇り、その取引先は全国に及んだ。風穴から5kmほど下仁田寄りに事務所が置かれ、風穴と事務所とは私設電話で結ばれ、全国からの保管や出荷に備えた。当時の資料によれば、1号風穴は間口7間、奥行き3.5間、2号風穴は間口11.5間、奥行き3.5間、3号風穴は間口8間、奥行き3.5間とあり、3基とも深さは15尺でその上に純土蔵式の建屋があり、いずれも上室、中室、下室の三階構造であった。3号風穴の南には事務所があった。現在、建屋は存在しないが、3基の風穴の石積みが良好に残り、壁面からは冷気が吹き出ている。また、春秋館関係の資料も多く残り、当時の経営の状態を窺うことができる。 中之条町の東谷風穴蚕種貯蔵所は、市街地から6km北東の東谷山の北麓、標高680mの地点に立地する。奥木仙五郎により明治39年(1906)から整備された。吾妻風穴とも言い、戦後は栃窪風穴とも呼ばれた。主に吾妻郡内を取引範囲とするが、貯蔵数は10万枚を超えるものと推計され、地域単位の風穴としては全国有数の規模である。蚕種の冷却に際して氷雪も利用していた。当時の写真及び現地調査によれば、管理棟と大小2基の貯蔵庫があり、大きい1号風穴は、冷風の吹き出し口の周囲を石積みで囲った地下2階、地上1階からなる建屋があり、地下2階は氷庫として使用された。現在、荒船風穴同様、建屋は現存しないが、風穴の石積み、事務所の礎石等が残っている。 このように、蚕種貯蔵風穴は、明治時代後半から昭和初期頃までの我が国近代の養蚕・製糸業を支えたものであり、荒船風穴は全国一の貯蔵規模を誇って全国的な取引を行い、東谷風穴は地域の風穴としては規模が大きく、ともに群馬県を舞台に展開した近代養蚕・製糸業を知る上で貴重であることから、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。