国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
伊礼原遺跡
ふりがな
:
いれいばるいせき
伊礼原遺跡(砂丘区)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
縄文
年代
:
西暦
:
面積
:
16943.63 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2010.02.22(平成22.02.22)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
沖縄県
所在地(市区町村)
:
沖縄県中頭郡北谷町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
伊礼原遺跡(砂丘区)
解説文:
詳細解説
縄文時代前期の低湿地区と中期から晩期の砂丘区からなる複合遺跡で、南島では生活様式の変遷が追える集落遺跡はほとんどない。また、原産地が特定されるヒスイ製玉や黒曜石製剥片の存在は、当該期の南島と日本列島本土との交流を考えるうえできわめて重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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伊礼原遺跡(砂丘区)
伊礼原遺跡(低湿地区)
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伊礼原遺跡(砂丘区)
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伊礼原遺跡(低湿地区)
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解説文
縄文時代前期の低湿地区と中期から晩期の砂丘区からなる複合遺跡で、南島では生活様式の変遷が追える集落遺跡はほとんどない。また、原産地が特定されるヒスイ製玉や黒曜石製剥片の存在は、当該期の南島と日本列島本土との交流を考えるうえできわめて重要。
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詳細解説
伊礼原遺跡は、沖縄県南西部に位置し東シナ海に面し、遺跡東側の丘陵を水源とするウーチヌカー(湧水)によって形成された標高2mの低湿地区と、その南側に広がる標高4mの海成の砂丘区によって構成される、縄文時代前期から晩期(貝塚時代前・中期)の4時期に及ぶ集落跡である。 米軍基地の返還に伴う区画整理事業に先立ち、北谷町教育委員会が平成7年度から9年度まで試掘・確認調査を実施したところその重要性が明らかとなり、平成10年度から17年度まではその保存と活用を図ることを目的に、遺跡の範囲と内容を確認するための発掘調査を実施した。 低湿地区は、大きく3層に分かれる。現地表面から1.8m下の最下層では、奄美・沖縄地域最古の縄文土器とされる前期の南島爪形文土器が出土した。その上の前期の単純層では、ウーチヌカーの流路に浅い掘り込みを設け、竹製の笊を敷いて四隅を杭で固定し、オキナワウラジロガシを貯蔵した遺構が確認された。奄美・沖縄地域では、従来、縄文時代後期から木の実の貯蔵がはじまると考えられていたが、今回、それが縄文時代前期に遡ることが明らかになった。また、この層からは、やはり奄美・沖縄地域では初例となる木製石斧柄の未製品が出土した。そして、さらに上の縄文時代中期から晩期に及ぶ包含層では、木製容器や木製櫛のほかイノシシの牙やサメの歯の垂飾具が出土した。このほかに動物遺存体としては、リュウキュウイノシシやクジラを中心としたほ乳類、ブダイ・ベラ・フエフキダイを中心とした魚類、リクガメ・ウミガメを中心とした両生類などが、各期にわたって大量に出土した。 砂丘区では、中期から晩期までの生活面が3時期にわたって確認された。中期では地床炉3基と多数の柱穴が検出され、柱穴については掘立柱建物の可能性がある。後期では、一辺3mの隅丸方形の石敷住居3棟、直径1.2m程度の集石遺構4基のほかに、土坑などが検出された。石敷住居では平らな石を敷き詰め、その直上から石皿や敲き石を検出したが、炉跡や柱穴は確認されていない。晩期では、石組炉を有し多量の土器や焼けた獣骨・貝などを包含する、一辺3m程度の方形の竪穴住居が確認された。遺物は各期にわたり、石器としては片刃・両刃の磨製石斧、石鏃、石皿、敲き石など、骨製品ではジュゴンの骨製腕輪、クジラの骨製簪、イノシシの骨製刺突具のほかにイノシシの牙やサメの歯の垂飾具など、貝製品では貝玉や貝製垂飾具などが出土した。 また、遺物には、晩期に属する新潟県糸魚川産ヒスイ製の玉や、西北九州産黒曜石製の剥片のほかに、九州から搬入された前期の曽畑式土器や後期の市来式土器もあり、奄美・沖縄地域と日本列島本土との間で断続的に行われた交流の実態を示す。また、ヒスイ製の玉については、縄文時代の交流が日本列島全体に広域に行われていたことを具体的に示しており重要である。 伊礼原遺跡では、縄文時代前期については生業の状況が、中期から晩期については居住の状況が明らかになり、その時々の環境に対応した豊かで多様な生活様式の復元が可能となった。このように、縄文時代の長期にわたる生活様式の変遷が追える遺跡は奄美・沖縄地域では類例がなく、さらに、原産地が特定されるヒスイ製の玉や黒曜石製の剥片の存在は、縄文時代における奄美・沖縄地域と日本列島本土との交流を考えるうえで極めて重要であり、奄美・沖縄地域を代表する拠点的な集落遺跡として位置付けることができる。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。