国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
大町釈迦堂口遺跡
ふりがな
:
おおまちしゃかどうぐちいせき
大町釈迦堂口遺跡(造成遺構・石垣)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世
年代
:
西暦
:
面積
:
14981.08 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
123
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2010.08.05(平成22.08.05)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
神奈川県
所在地(市区町村)
:
神奈川県鎌倉市大町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
大町釈迦堂口遺跡(造成遺構・石垣)
解説文:
詳細解説
13世紀後半以降、丘陵部を削平するなどの手法により谷戸の造成がおこなわれた。平場には礎石建物や掘立柱建物、火葬跡等がつくられ、背後の丘陵部のやぐら群とともに15世紀に至るまで土地利用がくり返された。中世鎌倉の開発の歴史を知るうえで重要な遺跡。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
大町釈迦堂口遺跡(造成遺構・石垣)
大町釈迦堂口遺跡(火葬跡)
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大町釈迦堂口遺跡(造成遺構・石垣)
写真一覧
大町釈迦堂口遺跡(火葬跡)
解説文
13世紀後半以降、丘陵部を削平するなどの手法により谷戸の造成がおこなわれた。平場には礎石建物や掘立柱建物、火葬跡等がつくられ、背後の丘陵部のやぐら群とともに15世紀に至るまで土地利用がくり返された。中世鎌倉の開発の歴史を知るうえで重要な遺跡。
詳細解説▶
詳細解説
大町釈迦堂口遺跡は中世の鎌倉の谷戸の開発を示す、谷戸の平場とやぐら群が形成された背後の丘陵部からなる遺跡である。 遺跡は、名越ヶ谷(なごえがやつ)と呼ばれる大きな谷戸(やと)の、南へ開口する支谷の最奥部に位置する。名越ヶ谷は逆川によって開かれた開析谷(かいせきだに)で、その支谷には山王谷(さんのうがやつ)や花ヶ谷(はながやつ)のように寺院伝承の残る支谷が存在する一方、本遺跡が存在する支谷のように谷戸(やと)の名称も伝わっていないものがある。名越は谷戸(やと)の開口部を逗子に抜ける古東海道が東西に走り、のちに名越切通が整備され鎌倉七口のひとつに数えられる交通の要衝である。遺跡の北には、釈迦堂谷(しゃかどうがやつ)や犬懸谷(いぬかけがやつ)等の谷戸があり、現在の釈迦堂切通し(トンネル)の開鑿時期は不明であるが、古くから南北方向の道も存在したと考えられる。なお、本遺跡からは過去に口径が20cmを超える大形の青磁鉢3点(重要文化財)が出土したと伝えられている。 丘陵部には、壁面に地蔵菩薩坐像を肉彫(にくぼり)する地蔵やぐらや、日輪文(にちりんもん)龕(がん)あるいは月輪文(げつりんもん)龕(がん)のある板碑型彫刻を有する日月やぐらなどの特徴的なやぐらが存在することが知られていた。やぐらは鎌倉を中心に分布する横穴式の墳墓で、供養のための仏堂の機能も有していた。平成10年度には鎌倉市教育委員会の詳細分布調査が、平成13年度には神奈川県教育委員会等による部分的な遺構確認のための発掘調査が実施され、さらに平成20年度には鎌倉市教育委員会による発掘調査が実施された。その結果、従来知られていたやぐらに加え、新たに29基のやぐらが確認され、谷戸に面する33基と西側の尾根筋に面する31基の、総数64基のやぐらが丘陵の上段・中段・下段に存在することが明らかとなった。 平場については、同じく鎌倉市教育委員会による発掘調査で、13世紀後半から14世紀前半に丘陵部が削平され、平場の拡大や雛壇状の造成等が行われ、建物が建てられたことが判明した。以後、15世紀に至るまでの、礎石(そせき)建物、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)やそれに付随する石組み溝や玉石敷き、火葬跡等が確認され、土地利用がくり返されたことが判明した。平場の土地利用の開始は、やぐら内部に収められた五輪塔や宝筺印塔(ほうきょういんとう)の石塔の形態や出土遺物から想定される、丘陵部にやぐらが築造される時期に符合しており、14世紀の火葬跡の存在等からは、平場には仏堂等の宗教的施設が存在し、宗教的な場として利用されたことが想定できる。 このように丘陵部のやぐらと平場の遺構が一体で遺存している箇所は鎌倉において数少なく貴重で、中世都市鎌倉において宗教的な目的で行われたと考えられる谷戸(やと)の開発と、祭祀信仰のあり方を知るうえで貴重な遺跡であることから、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。