国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
熊本藩川尻米蔵跡
ふりがな
:
くまもとはんかわしりこめぐらあと
熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
近世
年代
:
西暦
:
面積
:
8763.97 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
123
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2010.08.05(平成22.08.05)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
熊本県
所在地(市区町村)
:
熊本県熊本市川尻
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵)
解説文:
詳細解説
熊本藩川尻米蔵跡は,江戸時代,熊本藩の年貢米の集積場となった米蔵跡であり,また軍港としても機能した。今回,既指定の外城蔵跡及び船着場跡に加えて,対岸に居住した杉島御船手(おふなて)衆(しゅう)が川尻に行き来するための渡し場を追加指定し,名称変更を行う。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵)
熊本藩川尻米蔵跡(船着場跡)
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熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵)
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熊本藩川尻米蔵跡(船着場跡)
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解説文
熊本藩川尻米蔵跡は,江戸時代,熊本藩の年貢米の集積場となった米蔵跡であり,また軍港としても機能した。今回,既指定の外城蔵跡及び船着場跡に加えて,対岸に居住した杉島御船手(おふなて)衆(しゅう)が川尻に行き来するための渡し場を追加指定し,名称変更を行う。
詳細解説▶
詳細解説
熊本藩川尻米蔵跡は、江戸時代、熊本藩の年貢米の集積・搬出の拠点となった施設に関する遺跡であり、熊本市の南部を流れる緑川支流の加勢川右岸に所在する。川尻の地は、既に中世の頃から有明海を媒介とした物資の流通や中継貿易の拠点として機能していたが、近世、加藤清正が肥後国に入国した頃から河口整備が行われ、細川藩時代は藩の奉行所や御茶屋(おちゃや)、御蔵が設置され、藩内の5ヶ郡から通常20万俵の年貢米が川尻の御蔵に納入され、大坂蔵屋敷へ搬送されていた。また御用船の停泊地として船手方が置かれ、熊本藩の軍港としても重要な役割を担っていた。絵図等の史料によれば、川尻には外城蔵、東蔵、中蔵の9棟があった。このうち外城蔵の一部と考えられる蔵2棟が現存し、ともに幕末頃の建築と推定されている。また、加勢川に面して船着場(延長約150メートル)が残存しており、土留めのため胴木・木杭の設置や粗朶(そだ)敷を行うなどの基礎工事が行われていたことなどが判明している。このように、我が国近世の物流と水運施設の様相を知る上で重要であることから、外城蔵跡と船着場跡の2地点が、平成22年8月5日に史跡に指定された。 今回、追加指定を行うのは、船着場跡から200メートル下流に位置する御船手渡し場跡である。この渡し場は、川尻対岸の杉島手永御船手との渡し場であり、杉島に居住する御船手衆が川尻町へ行き来するため利用するものであった。河川改修に伴い平成19年度に調査が行われ、現在の石敷きの下層で、慶長期の要素が見られる石敷きの石材が見つかっており、船着き場と同時期に造られたものと考えられる。外城蔵・船着場跡とともに米蔵跡を構成する重要なものであることから、御船手渡し場跡を史跡に追加指定して保護するとともに、その名称を熊本藩川尻米蔵跡に変更するものである。