国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
神崎遺跡
ふりがな
:
かんざきいせき
竪穴建物
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
弥生時代後期
年代
:
西暦
:
面積
:
9407.97 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
11
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2011.02.07(平成23.02.07)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
神奈川県
所在地(市区町村)
:
神奈川県綾瀬市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
竪穴建物
解説文:
詳細解説
神奈川県中央部、相模川の支流となる河川付近の標高24mの台地上に立地する弥生時代後期の環濠集落跡。土器は西遠江産が95%以上を占め、当該地域から集団移住があったと考えられている。弥生時代後期の南関東地域の社会のあり方を知る上で重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
竪穴建物
土器捨て場
出土土器
神崎遺跡全景
神崎遺跡2号住居址
神崎遺跡3号住居址
神崎遺跡3号住居址
神崎遺跡北半部
神崎遺跡南半部
神崎遺跡環濠
写真一覧
竪穴建物
写真一覧
土器捨て場
写真一覧
出土土器
写真一覧
神崎遺跡全景
写真一覧
神崎遺跡2号住居址
写真一覧
神崎遺跡3号住居址
写真一覧
神崎遺跡3号住居址
写真一覧
神崎遺跡北半部
写真一覧
神崎遺跡南半部
写真一覧
神崎遺跡環濠
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
神奈川県中央部、相模川の支流となる河川付近の標高24mの台地上に立地する弥生時代後期の環濠集落跡。土器は西遠江産が95%以上を占め、当該地域から集団移住があったと考えられている。弥生時代後期の南関東地域の社会のあり方を知る上で重要。
詳細解説▶
詳細解説
神崎遺跡は、神奈川県の中央部付近を流れる相模川の支流目久尻川に面した標高24メートル、沖積地との比高差約11メートルの台地上に立地する、弥生時代後期の集落跡である。 この遺跡は、綾瀬市史編纂事業に伴い、平成元年から内容を確認する発掘調査が行われ、内容が明らかになったものである。その結果、南北103メートル、東西65メートル、面積5,000平方メートルほどの弥生時代後期の環濠集落であることが判明した。環濠は、幅・深さともに1.8メートル前後で断面V字形を呈する。環濠内の北側では、平面形が楕円形及び方形の竪穴建物6棟を確認した。南関東の竪穴建物における炉の位置は建物の長軸上に設けられるのが普通だが、本遺跡においては、建物の短軸上に設けられるものが3基あった。こうした形態の建物は東海以西に認められるものである。出土遺物は、壺・甕・高杯などの土器、球形土製品、鉄鎌・銅鏃などである。土器は後期前半の特徴をもつもので、95パーセント以上が東海西部系である点は、この遺跡を大きく特徴付けるものである。 綾瀬市教育委員会は平成21年、この遺跡の範囲・内容を確認するための発掘調査を実施した。それによると、環濠内の南側でも竪穴建物3棟と柱穴を確認し、建物は環濠内の全域に及んでいたとみなされるようになった。そして、出土した土器で確認できたものはすべて直線距離にして200キロメートル以上離れた東海西部の特徴を有していることから、集落全体で東海西部系の土器が使用されていたと考えられるようになった。 弥生時代後期の南関東では東海地域と密接な関係があったと考えられている。この遺跡をはじめとして相模川流域の遺跡では東海西部の影響を受けた土器が出土するが、遺跡によってそうした土器の占める比率は異なっていた。そうしたなか、当該地域の土器が95パーセント以上を占める遺跡は、ここだけである。しかも、土器の胎土分析によって遺跡周辺の粘土が使用されていたことがわかった。これは、土器が製品としてもたらされたのではなく、この地で製作されたことを示すことから、東海西部から人々の移住があったと考えられるようになった。竪穴建物が東海地域で特徴的な形態であることも、このことを裏付けるものである。 神崎遺跡は弥生時代後期前半という短期間に営まれた環濠集落である。そして、東海西部から移住のあったことを明らかにしたことは、弥生時代後期に東海から南関東の社会のあり方を知る上で重要である。しかも、こうした集落が完全な形で遺存しているということは、希有な例として貴重である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。