国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
旧奥行臼駅逓所
ふりがな
:
きゅうおくゆきうすえきていしょ
駅逓所全景
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
140
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2011.09.21(平成23.09.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
北海道
所在地(市区町村)
:
北海道野付郡別海町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
駅逓所全景
解説文:
詳細解説
旧奥行臼駅逓所は、近代、北海道各地の宿泊・運送の便を図るため設けられた駅逓所の一つ。根室と別海の海岸部・内陸部を結ぶ交通の要衝として明治43年(1910)に設置。当時の建物や旧道等が良好に残り、近代の北海道開拓を支えた交通施設として重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
駅逓所全景
寄棟(正面)
寄棟(西側)
写真一覧
駅逓所全景
写真一覧
寄棟(正面)
写真一覧
寄棟(西側)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
旧奥行臼駅逓所は、近代、北海道各地の宿泊・運送の便を図るため設けられた駅逓所の一つ。根室と別海の海岸部・内陸部を結ぶ交通の要衝として明治43年(1910)に設置。当時の建物や旧道等が良好に残り、近代の北海道開拓を支えた交通施設として重要。
詳細解説▶
詳細解説
旧奥行臼駅逓所は、明治43年(1910)から昭和5年(1930)までの間、人馬の継ぎ立てと宿泊、物資の逓送等の便宜を図った施設である。遺跡は、北海道東部の根室と別海の間にあり、根室湾から約9㎞内陸の別海町奥行臼に所在する。 近代、北海道では、交通不便の地に駅舎や人馬等を備え、宿泊・輸送等の便宜をはかるため駅逓所が各地に設けられた。駅逓の数は北海道内陸部への入植と道路の整備に合わせて増加し、大正期には最盛期を迎えた。しかし、入植地に集落が形成されて市街化が進み、鉄道や民間施設が整備されていくとその役割は低減し、大正10年(1921)の270カ所を頂点として駅逓数は減少、昭和22年に全廃された。 駅逓所が置かれた奥行臼は、北海道東部の明治30年以降に和人の入植が始まり、内陸部の原生林を利用した薪炭業と広大な入植地を活かした牧畜業が主な産業であった地域である。明治43年の駅逓所設置に際し、駅逓取扱人となった山崎藤次郎(1860~1940)は新潟県に生まれ、明治23年に北海道根室町に移住した人物である。奥行臼に入植して広大な未開地を借受けて牧畜業を経営、後に200万坪の土地と200頭を超える馬を有する大牧場主となった名望家であった。 旧奥行臼駅逓所は、隣の駅逓所は根室方面が別当賀、別海方面は海沿いの別海駅逓所であり、この両駅逓所との間の人足・馬匹による継立と旅客の宿泊・休憩の対応を行う駅逓所として、根室と別海の海岸部・内陸部を結ぶ役割を果たした。駅逓所駅舎には山崎の自宅が使用され、明治末から大正初期の増築を経て、大正9年(1920)には客室として2階建ての寄棟が増築され、物資運搬等の拠点として活動した。しかし、大正14年には殖民鉄道根室線が開通し、また内陸部への入植が進んだことから、奥行臼駅逓所はその必要性が次第に薄れ、昭和5年に廃止された。廃止後は山崎家が経営する旅館として存続し、戦後に至った。 駅逓所時代を偲ばせるものとして、駅舎1棟、馬屋2棟、倉庫2棟が現存する。このうち駅舎は、木造寄棟造(一部切妻造)二階建て建物で、面積は1階284㎡、2階71㎡の規模であり、駅逓最盛期の大正時代の趣きを残し、平成6年に北海道指定有形文化財に指定されている。これら建物の周囲には、旧道や駅逓所時代以来の牧草地が広がり、往時の歴史的景観をいまに良く伝えている。また、駅逓所時代の文書、調度品等も多数残されている。 このように、旧奥行臼駅逓所は、北海道において人馬の継ぎ立てや宿泊、物資の逓送等を担った駅逓所の一つであり、当時の建物、周辺景観、関係資料等が良好に残る。近代の北海道開拓の歴史を知る上で貴重であることから、史跡に指定して保護を図ろうとするものである。