国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
阿志岐山城跡
ふりがな
:
あしきさんじょうあと
第3水門
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
954683.45 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
140
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2011.09.21(平成23.09.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
福岡県
所在地(市区町村)
:
福岡県筑紫野市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
第3水門
解説文:
詳細解説
阿志岐山城跡は、663年の白村江の戦いにおける大敗により、大宰府政庁を中心に構築された水城、大野城、基肄城に関連する古代山城跡であり、7世紀後半代の東アジアを中心とした日本の対外関係を考える上でもきわめて重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
第3水門
石切場
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第3水門
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石切場
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解説文
阿志岐山城跡は、663年の白村江の戦いにおける大敗により、大宰府政庁を中心に構築された水城、大野城、基肄城に関連する古代山城跡であり、7世紀後半代の東アジアを中心とした日本の対外関係を考える上でもきわめて重要。
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詳細解説
阿志岐山城跡は、三郡山地から南に派生する標高339メートルのほぼ円錐形を呈する宮地岳に築かれた古代の山城跡である。標高140~250メートルの山腹に3基の水門を取り込んだ総延長1,340メートルの列石とその上部に築かれた土塁は、宮地岳の西側約2/5を巡り全周はしない。しかし、平野部から宮地岳を臨むと、その中腹に列石が巡るように見え、山全体を防御施設として見立てていたことがわかる。 古代山城は、その列石が基底石を持たず曲線的に伸びる九州型と、基底石を持ち屈曲しながら伸びる瀬戸内型に分類されるが、本山城跡は北部九州にありながら瀬戸内型的な特徴を有しており、構造的な観点からも両地域の関係を探る上でも注目される。 7世紀後半代の北部九州では、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗したことを契機に、大宰府政庁を中心に翌664年には水城が、665年には大野城や基肄城が構築される。それらに近接する阿志岐山城跡は、このような歴史的背景のもとで築造された山城と考えられ、7世紀後半代の東アジアを中心とした日本の対外関係を考える上でもきわめて重要である。
関連情報
指定等後に行った措置
2012.09.19(平成24.09.19)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: