国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
殿ヶ谷戸庭園(随冝園)
ふりがな
:
とのがやとていえん(ずいぎえん)
秋の紅葉亭
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種別1
:
名勝
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
17573.96 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2011.09.21(平成23.09.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.公園、庭園
所在都道府県
:
東京都
所在地(市区町村)
:
東京都国分寺市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
秋の紅葉亭
解説文:
詳細解説
南満州鉄道副総裁であった江口定條(さだえ)の別邸に端を発し、昭和初期に岩崎彦彌太が改修を加えた東京郊外の別荘庭園。武蔵野段丘の段丘崖(国分寺崖線)に立地し、その縁辺部の湧水と傾斜面の雑木林など豊かな自然環境を生かした風致景観は優秀であり、芸術上の価値は高い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
秋の紅葉亭
冬景色の本館
芝庭とアカマツ
次郎弁天池の石組み
国分寺崖線と竹林
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秋の紅葉亭
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冬景色の本館
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芝庭とアカマツ
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次郎弁天池の石組み
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国分寺崖線と竹林
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解説文
南満州鉄道副総裁であった江口定條(さだえ)の別邸に端を発し、昭和初期に岩崎彦彌太が改修を加えた東京郊外の別荘庭園。武蔵野段丘の段丘崖(国分寺崖線)に立地し、その縁辺部の湧水と傾斜面の雑木林など豊かな自然環境を生かした風致景観は優秀であり、芸術上の価値は高い。
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詳細解説
武蔵野段丘の南縁を成す東西方向の段(だん)丘(きゆう)崖は「国(こく)分(ぶん)寺(じ)崖(がい)線(せん)」と呼ばれ、随所に小さな「谷(や)戸(と)」が段丘を刻んでいたり、「ハケ」と呼ばれる崖線の下端部付近の礫層から浸出する湧水が沼地を造っていたりする。殿ヶ谷戸庭園は、そのような崖線の地形と湧水を利用し、武蔵野を代表するアカマツ・クヌギ等から成る雑木林の風致を生かして造られた近代の別荘庭園である。 三菱合資会社の社員で、後に南満州鉄道副総裁から貴族院議員にもなった江(え)口(ぐち)定(さだ)條(え)(1865~1946)は、大正2年(1913)~4年(1915)に、この地に別荘を構えた。建築は当時流行した和洋折衷の意匠・構造を持ち、庭園は赤坂の庭師であった仙(せん)石(ごく)荘(そう)太(た)郎(ろう)により作庭され、「随冝園」と名付けられた。 その後、昭和4年(1929)に、三菱合資会社の経営者であった岩崎本家三代目の岩崎彦(ひこ)彌(や)太(た)(1895~1967)が江口家から別荘を買い取り、「国分寺の家」として親しむようになった。彦彌太は、昭和九年(一九三四)に津(つ)田(だ)鑿(さく)の設計により、中庭及びサンルーム状のベランダなどを備えた一部二階建を含む和洋折衷の木造主屋に建て替え、敷地の北西隅部に鉄筋コンクリート造の蔵(倉庫)を新築した。同時に、茶室を伴う庭園建築として紅葉亭を新築するとともに、主屋前面の芝生地と崖線下方の湧水及び園池から成る回遊式庭園を完成させた。 別荘の敷地は、南に張り出す段丘の東辺に当たり、比高が10メートル以上もある崖線の傾斜地を挟んで、段丘上面の平坦地から下方の沼沢地へと及んでいる。それは、①敷地東辺の北寄りに位置する元の正門の位置から、段丘上の中央部に位置する主屋西側の玄関前の馬車回しへと通ずる導入路(馬車道)をはじめ、②主屋の南東面を中心として、段丘上に広く展開する芝生地の洋風庭園、③アカマツ・モミジ及び竹林などの樹叢とクマザサに覆われた崖線の傾斜面、④段丘上面の井戸からの導水及び崖線の下端付近からの湧水を集めて造成された次郎弁天池を中心とする和風庭園の四つの部分から成り、それぞれ道・石段・延段などによって結ばれている。 主屋の南面は、広々とした芝生地にアカマツ・モミジ、景石を配した広場となっており、南に張り出す段丘の上面とその東の崖線に沿って、遙かに通視のきく場所である。主屋に近い位置には、江口定條が別荘を所有した頃からのエノキが現存する。 主屋から広場の西辺に沿って南へと延びる園路は、敷地南端の藤棚において行く手を北東へと転ずる。クマザサに覆われ、アカマツ・タギョウショウが疎らに叢生する段丘崖の縁辺を緩やかに降ると、傾斜面の裾部をクロボクで組んだ道の下方にモウソウチクの竹林が広がり、さらに降ると次郎弁天池のほとりに出る。 次郎弁天池は、ハケの湧水によって形成された小さな沼沢地で、水面の北西寄りに中島がある。西側の段丘崖の下端近くに石を組み、そこから僅かに湧き出す水が静かな流れを造り、その合間に打たれた飛び石伝いに進むと、道は段丘上方の紅葉亭へと通ずる急な登りとなる。葛(つづら)折(お)りの道沿いには、紅葉亭西側の井戸からの水を導く石組みの流れがあり、その途上には四段の滝石組みがある。 紅葉亭は、十畳・六畳の座敷の縁先に広い庇を付けた離れ座敷風の庭園建築である。その小暗い庇の軒先からは、樹間の下方に次郎弁天池の水面を垣間見られるにすぎないが、往時は多摩川の低地と背後の多摩丘陵を遙かに見わたすことができたとされる。 このように、殿ヶ谷戸庭園は江口定條の随冝園に端を発し、昭和初期に岩崎彦彌太が改修を加えた東京郊外の別荘庭園で、国分寺崖線の地形、縁辺部の湧水、傾斜面に叢生する雑木林など、豊かな自然環境を生かした優秀な風致景観を伝える。同時代に作庭された類似の武蔵野の別荘庭園の中でも、当時の風致景観を最もよく残し、その芸術上・観賞上の価値は高い。よって、名勝に指定し、保護を図ろうとするものである。