国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
富士五湖
山中湖
河口湖
西湖
精進湖
本栖湖
ふりがな
:
ふじごご
やまなかこ
かわぐちこ
さいこ
しょうじこ
もとすこ
河口湖と富士山
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種別1
:
名勝
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
141
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2011.09.21(平成23.09.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
七.湖沼、湿原、浮島、湧泉,十一.展望地点
所在都道府県
:
山梨県
所在地(市区町村)
:
山梨県南都留郡富士河口湖町・山中湖村、南巨摩郡見延町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
河口湖と富士山
解説文:
詳細解説
富士山の火山活動により形成された5つの湖沼から成る風致景観。歴史的に富士講による「八海巡り」にも組み込まれてきたのをはじめ、江戸時代の浮世絵などの芸術作品にも描かれ、湖面に映える富士山の倒立像は「逆さ富士」として知られる。その風致景観が持つ観賞上の価値は高い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
河口湖と富士山
山中湖と富士山
西湖と富士山
本栖湖と富士山
精進湖と富士山
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河口湖と富士山
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山中湖と富士山
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西湖と富士山
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本栖湖と富士山
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精進湖と富士山
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解説文
富士山の火山活動により形成された5つの湖沼から成る風致景観。歴史的に富士講による「八海巡り」にも組み込まれてきたのをはじめ、江戸時代の浮世絵などの芸術作品にも描かれ、湖面に映える富士山の倒立像は「逆さ富士」として知られる。その風致景観が持つ観賞上の価値は高い。
詳細解説▶
詳細解説
富士山の北麓には、富士山の火山活動の過程で形成された複数の堰(せき)止(とめ)湖(こ)が弧状に分布し、その中でも山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖の五つの湖沼は、規模の大きさ及び優れた風致景観の観点から特に「富士五湖」と総称され、多くの人々に親しまれてきた。 西湖・精進湖・本栖湖は、かつて「古(こ)剗(せ)の海(うみ)」と呼ぶ一つの大きな湖沼を形成していたが、富士山の噴火で発生した溶岩流により分断され、順次三つの湖沼が成立したとされる。特に西湖及び精進湖は、『日(に)本(ほん)三(さん)代(だい)実(じつ)録(ろく)』によると、貞(じよう)観(がん)6年(864)に発生した溶岩流により成立したことが知られる。そのような形成過程に起因して、三つの湖沼の水面標高は共通しており、地下で水脈を共有しているものと考えられている。また、河口湖は本栖湖と同時期の火山活動に起因して成立し、その後に発生した溶岩流によって現在の湖沼の原形が完成したとされているほか、山中湖は延(えん)暦(りやく)年間(782~806)から承平年間(931~938)に発生した溶岩流によって成立したとされている。 富士五湖は、富士山とともに、その山麓の霊地として、富士講の重要な修行の場とされてきた。富士講の始祖として伝承のある中世末期の長(は)谷(せ)川(がわ)角(かく)行(ぎよう)が富士山麓の八つの湖沼で行ったとされる水行に起源して、18世紀以降に「八(はつ)海(かい)巡(めぐ)り」と呼ぶ修行の形態が定着し、富士山の登拝とともに富士講の信者にとって重要な意義を持つようになった。八つの湖沼の中でも、特に富士山に近在の湖沼を巡る「内(うち)八海巡り」の中心となったのが富士五湖であった。 富士講の信者により、富士山信仰の霊地として神聖視されたのみならず、その美しい湖沼の風致景観は絵画にも描かれるようになり、名所としても広く知られるようになった。浮世絵の作品には、葛飾北斎(1760?~1849)の『冨嶽三十六景』に含まれる「甲(こう)州(しゆう)三(み)坂(さか)水(すい)面(めん)」、歌川広重(1797~1858)の『冨士三十六景』に含まれる「甲(か)斐(い)御(み)坂(さか)越(ごえ)」等がある。特に北斎の作品は、河口湖の湖面に映る富士山の倒立像を描き、いわゆる「逆さ富士」の典型的な図像として著名である。 近代以降は、河口湖以外の湖沼も広く芸術活動の対象となり、山中湖を描いた川(かわ)瀬(せ)巴(は)水(すい)(1883~1957)の版画『山中湖の暁』、西湖を描いた三島由紀夫(1925~1970)の小説『鏡子の家』、精進湖を詠んだ与謝野晶子(1878~1942)・斎藤茂吉(1882~1953)の短歌等、著名な画家・文学者・歌人等による数多の作品が残されたほか、写真家の岡(おか)田(だ)紅(こう)陽(よう)(1895~1972)が中(なか)ノ倉(くら)峠(とうげ)から撮影した本栖湖及び富士山の写真は我が国の千円及び五千円の紙幣の図様にも使われた。 昭和2年(1927)、大阪毎日新聞社及び東京日日新聞社の主催で行われた「日本二十五勝」の選定に当たっては、五つの湖沼を総称する「富士五湖」の名の下に応募が行われ、琵琶湖(滋賀県)及び大沼(北海道)とともに入選した。その後、五つの湖沼は一体として広く知られるようになり、「富士五湖」は日本を代表する湖沼の名称として人口に膾炙した。 このように、富士五湖は富士山の火山活動の過程で形成された五つの湖沼から成り、富士講による「八海巡り」の場として富士山信仰の霊場の中核を成すとともに、世界的に著名な江戸時代の浮世絵などの芸術作品にも描かれ、特に湖面に映える富士山の倒立像は「逆さ富士」として知られるなど、優秀な風致景観を誇る。湖面を中心に、成因となった溶岩流から成る湖岸の一部をも含め、その名所としての観賞上の価値は高く、よって、名勝に指定し、保護しようとするものである。