国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
田島弥平旧宅
ふりがな
:
たじまやへいきゅうたく
主屋正面
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
幕末~明治
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
145
特別区分
:
指定年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
四.学校、研究施設、文化施設その他教育・学術・文化に関する遺跡,六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡,八.旧宅、園池その他特に由緒のある地域の類
所在都道府県
:
群馬県
所在地(市区町村)
:
群馬県伊勢崎市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
主屋正面
解説文:
詳細解説
田島弥平は幕末から明治期に養蚕技術に関する著書を著し、養蚕技術の開発・改良を行い、蚕種(さんしゅ)販売を手がけた人物。その活動の場となり、独自の技術・方法を具体化した建物が現存しており、日本の近代化を支えた近代養蚕業の展開を知る上で貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
主屋正面
主屋2階蚕室
表門
種蔵
写真一覧
主屋正面
写真一覧
主屋2階蚕室
写真一覧
表門
写真一覧
種蔵
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解説文
田島弥平は幕末から明治期に養蚕技術に関する著書を著し、養蚕技術の開発・改良を行い、蚕種(さんしゅ)販売を手がけた人物。その活動の場となり、独自の技術・方法を具体化した建物が現存しており、日本の近代化を支えた近代養蚕業の展開を知る上で貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
田島弥平旧宅は、幕末から明治にかけて優良な蚕種(さんしゆ)を生産する技法である清涼育(せいりよういく)を体系的に完成させた田島弥平(文政5年(1822)生、明治31年(1898)没)の旧宅であり、群馬県伊勢崎市を流れる利根川右岸の境島村(旧・島村)に所在する。 田島氏は、中世に島村の地に土着したと伝える一族である。弥平の父弥兵衛(やへえ)は、江戸時代後半、利根川の洪水に伴い現在地に移転したとされ、養蚕で財をなし、養蚕長者と呼ばれるほどであった。その長子として生まれた弥平は、長じてから信州や奥州伊達(だて)等の養蚕家をめぐって養蚕技術の工夫に励んだ。当時の蚕書には清涼育に近似した養蚕方法は説かれていたが、自然飼育法が基本であって理論化されていなかった。そこで弥平は、補温を制限し通風換気に気をつけ、火力使用の場合にも密閉を禁じ、空気の鬱滞を避けるべきだとした。安政3年(1856)からは自宅の養蚕建物を改良して養蚕の実験を行い、明治5年に『養蚕新論』を、同12年に『続養蚕新論』を著し、養蚕建物では空気の循環が重要であることを理論的に体系づけ、清涼育の普及に努めた。清涼育は全国に普及し、明治時代後期に高山社(たかやましや)による折衷育(清温育)法が普及するまで、養蚕技術に大きな影響を与えた。また、弥平が考案した2階建、瓦葺、気抜(きぬ)き窓(まど)(櫓(やぐら))付き養蚕建物は折衷育法にも適合する形態であることから、折衷育法の普及後も養蚕建物の規範となった。 弥平が確立した清涼育は、単に建物だけでなく、蚕種の生産過程、製種法、桑園の栽培方法を含む生産技術理論であり、全国から多くの養蚕伝修生が訪れ研修を受けた。また、弥平は明治4年に復活した宮中(きゆうちゆう)養蚕にも度々奉仕し、青山御所の養蚕建物も彼が設計した。弥平は蚕種販売にも精力を注ぎ、幕末に島村の蚕種業者と共同して横浜の外国商館に島村蚕種を販売し、明治5年には島村勧業会社を設立して横浜での貿易に携わり、イタリアへの蚕種の直輸出も行うなど、養蚕業発展に大きく寄与した。 現在、旧宅には往時の建物や建物跡等の遺構が現存する。主屋は、文久3年(1863)に完成した、桁行13間半(24.3m)・梁行5間(9.1m)、木造2階建・切妻桟瓦葺(きりづまさんがわらぶき)・櫓付きの大型養蚕建物である。棟全体に櫓を載せ、1階を居住用、2階を養蚕室としたもので、玄関部分等に改変はあるが、当時の姿を良く留める。敷地東南部には安政3~5年に弥平が改良を繰り返した実験用蚕室の基礎部が遺存する。また、主屋東側には、明治5~8年頃に建築された養蚕専用の新蚕室建物の基礎が残る。蚕飼育に必要な桑を貯蔵する桑置場、蚕種を保管した種蔵等の遺構も残り、旧宅敷地もほぼ幕末以来の規模である。その他、『養蚕新論』の版木、蚕種生産に関する史資料が旧宅内に伝存しており、貴重である。 このように、田島弥平旧宅は、幕末から明治期に蚕種生産に関する清涼育を体系的に完成させ、規範となる養蚕建物をも発案し、近代養蚕飼育法の確立を図った田島弥平の旧宅である。現在も当時の養蚕建物をはじめ当時の遺構が良く残る。近代養蚕業の展開を知る上で重要であることから、史跡に指定して保護を図るものである。