国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
五斗長垣内遺跡
ふりがな
:
ごっさかいといせき
竪穴建物群
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
弥生後期
年代
:
西暦
:
面積
:
18900.03 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
145
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
兵庫県
所在地(市区町村)
:
兵庫県淡路市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
竪穴建物群
解説文:
詳細解説
淡路島北部に所在する弥生時代後期初頭から後期後葉までの集落跡。石器生産から鉄器生産へと変遷したことがたどれ、鉄器製作技術のあり方が良くわかるという点できわめて貴重であり、弥生時代の鉄器製作跡としては初めての指定である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
竪穴建物群
炉跡を持つ大型建物跡
鉄器・鉄製品
鉄製鍛冶工具
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竪穴建物群
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炉跡を持つ大型建物跡
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鉄器・鉄製品
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鉄製鍛冶工具
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解説文
淡路島北部に所在する弥生時代後期初頭から後期後葉までの集落跡。石器生産から鉄器生産へと変遷したことがたどれ、鉄器製作技術のあり方が良くわかるという点できわめて貴重であり、弥生時代の鉄器製作跡としては初めての指定である。
詳細解説▶
詳細解説
五斗長垣内遺跡は、淡路島北部の播磨灘を見渡す標高200メートルの丘陵上に営まれた、弥生時代後期の集落跡である。 この遺跡は平成17年に発見され、平成19年から淡路市教育委員会が、ほ場整備事業に先立ち発掘調査を実施したところ、近畿では例のない弥生時代における鉄器製作に関わる遺構・遺物がまとまって検出されたことから、その重要性に鑑み、事業計画を変更し、現状保存の措置を執ることとなった。 発掘調査の結果、弥生時代後期初頭から後期後葉までの竪穴建物23棟が検出された。竪穴建物のうち、直径8メートルを超える大型のもの6棟はすべて円形で、それより小型のものは円形・方形・隅丸方形であった。集落が始まる後期初頭の竪穴建物からはサヌカイトの剥片が多数検出されていることから、石器製作が行われていたと考えられる。弥生時代後期前葉以降の12棟の竪穴建物の床面には、赤く焼けた範囲の内側に色の変化した部分があり、そこが非常に硬く焼け締まっていた。これは鍛冶に伴う炉跡と考えられ、こうした炉跡は1つの竪穴建物に複数存在している。竪穴建物は、大型の建物1・2棟と、小型の建物が組み合わさる形で存続していたとみられるが、弥生時代終末期には消滅してしまう。 出土遺物としては、石製品、鉄製品及び土器類がある。石製品では敲石34点、台石13点、砥石15点が出土した。敲石のなかには被熱によって赤色・黒色に変色したものがあり、台石にも被熱により赤変したものや錆状の付着物が認められるものがあり、こうした石製品は鍛冶加工具と捉えられている。なお、砥石は仕上砥が多数を占める。鉄器では、鉄鏃11点、板状鉄斧1点、刀子1点がある。板状鉄斧は長さ17.8センチ、幅4.8センチ、厚さ1.3センチと大型で、非常に分厚く、大陸からもたらされたとみなされている。このほか、細い棒状の鉄製品や三角形・不整形の鉄片などが出土した。鉄片は鉄板を切断した際に生じたものと考えられ、鉄鏃などの小型の製品を製作していたことが知られる。 五斗長垣内遺跡は、弥生時代後期において石器生産から鉄器生産への変化をたどることのできる集落跡である。竪穴建物には大型のものと小型のもの、炉跡を持つものと持たないものがあり、機能分化していたことがうかがえる。また、炉跡の構造や出土遺物から、弥生時代の鉄器製作技術も明らかとなった。このように、本遺跡は、弥生時代の鉄器製作のあり方、さらには鉄器生産に関わる集落の構造を知ることができる希有な例であり、近畿における弥生時代後期の社会のあり方を知ることができるという点でも重要である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。