国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
大浦天主堂境内
ふりがな
:
おおうらてんしゅどうけいだい
大浦天主堂
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
幕末~明治
年代
:
西暦
:
面積
:
10052.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
145
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡,九.外国及び外国人に関する遺跡
所在都道府県
:
長崎県
所在地(市区町村)
:
長崎県長崎市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
大浦天主堂
解説文:
詳細解説
開国間もない元治元年(1864)に長崎に建築された現存最古の天主堂をはじめとするキリスト教関係施設を含む敷地。国内でおよそ250年ぶりにキリスト教信者の存在が明らかになった「信徒発見」が起きた場所でもある。キリスト教の教会堂としては初めての指定である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
大浦天主堂
旧長崎大司教館
旧羅典神学校
旧伝道師学校
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大浦天主堂
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旧長崎大司教館
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旧羅典神学校
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旧伝道師学校
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解説文
開国間もない元治元年(1864)に長崎に建築された現存最古の天主堂をはじめとするキリスト教関係施設を含む敷地。国内でおよそ250年ぶりにキリスト教信者の存在が明らかになった「信徒発見」が起きた場所でもある。キリスト教の教会堂としては初めての指定である。
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詳細解説
大浦天主堂境内は、幕末期に建設されたキリスト教礼拝施設を含む敷地であり、長崎県長崎市の市街地の南側に位置する南山手に所在し、敷地はその北斜面を上中下段の三段に造成して形成されている。 幕末期に開国した江戸幕府は、安政5年(1858)にアメリカ合衆国はじめ五カ国と修好通商条約を締結した。その結果、開港場となった長崎では、翌年から市街地南部の大浦一帯が外国人居留地として造成された。パリ外国宣教会は、ローマ・カトリック教会から日本での再布教の任務を受け、宣教師たちを横浜、長崎に派遣した。ルイ・テオドール・フューレ神父は、文久2年12月(西暦では1863年1月)に長崎に着任し、南山手の地を拠点と定めた。翌年には自らの居住場所となる司祭館を完成させ、その後、天主堂の建設に着手した。天主堂は、フューレ、ベルナール・タデ・プティジャン両神父により設計され、施工は肥後天草出身の小山秀之進が請け負ったといわれ、元治元年(1864)11月に完成した。当時は在留外国人のために建設されたもので、翌年2月に献堂式が挙行され、西暦1862年6月に列聖されたばかりの日本二十六聖人に捧げられた。 元治2年2月(西暦では1865年3月)には、浦上の潜伏キリシタンが大浦の地を訪れ、この天主堂においてプティジャン神父に自らの信仰を密かに告白した。このキリスト教史上に名高い「信徒発見」は、驚きを持ってヨーロッパに伝えられるとともに、後世に語り継がれた。 明治6年(1873)の禁教の高札撤廃後、境内は日本人司祭の育成の場として整備が進められ、明治8年には羅典神学校が完成、同15・16年頃までに南側上段の土地に伝道師学校が建設された。伝道師学校は明治25年に廃校となったが、神学校では大正14年(1925)に浦上の新校舎に移るまで、約50年にわたって神学生教育が行われ、多くの日本人司祭を輩出した。また、大正4年にはマルク・マリー・ド・ロ神父等の設計により、司祭館が新築された。この建物は、現在、旧長崎大司教館と呼ばれている。 さらに、プティジャン神父は、潜伏キリシタンに伝わった16・17世紀の教理書・祈祷書を刊行あるいは復刻した。これらは総称して「プティジャン版」と呼ばれ、大浦における初期の宣教方針を物語るものとして重要である。 居留地制度下では、とくに大浦はパリ外国宣教会から派遣された神父たちの活動拠点であり、ここに籍を置いて浦上などの長崎近郊や外(そと)海(め)、五島列島などのほか九州各地に赴いているし、明治32年の居留地の廃止以後においては、さらに布教活動は盛んになっていった。彼らは、布教活動に加えて、積極的な福祉活動を行う者もいたし、ド・ロやオーギュスト・フロランタン・ブレル、ジョゼフ・フェルディナン・マルマンらの神父は各地の教会堂建設の設計や指導を行ったことでも知られ、日本人建築技術者に直接的に洋風建築技術を伝えている。天主堂祭壇床下には、天主堂建設に尽力したプティジャンの遺体が埋葬されている。 大浦におけるド・ロの設計による建造物は、旧羅典神学校と旧長崎大司教館があり、どちらも現存する。大浦天主堂は明治12年頃の大規模な増改築を経ているが、建設当初からの立地場所を維持しつつ、幕末期から現存する我が国最古の教会堂建築として著名である。 今回史跡に指定しようとするのは、天主堂(国宝)や旧羅典神学校(重要文化財)など四棟の建物を含めたその敷地全体である。この場所は、建設当初の幕末においては、禁教下において潜伏して継続されてきたキリスト教信仰と、開国によって改めて日本にもたらされたキリスト教信仰及び文化とを直接つなぐ出来事が起こった歴史的場所として位置づけられるとともに、明治時代以降においては、パリ外国宣教会の日本における再布教の拠点としての役割を果たした。境内にはこれらを示す施設が極めて良好に保存されており、我が国におけるキリスト教信仰及び文化の移入と展開の歴史を知る上で重要であることから、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。