国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
中頭方西海道及び普天満参詣道
ふりがな
:
なかがみほうせいかいどうおよびふてんまさんけいみち
中頭方西海道
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
琉球王朝第二尚氏
年代
:
西暦
:
面積
:
5355.38 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
145
特別区分
:
指定年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
沖縄県
所在地(市区町村)
:
沖縄県浦添市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
中頭方西海道
解説文:
詳細解説
中頭方西海道は琉球王府が整備した主要道「宿道(しゅくみち)」の一つであり、安波茶橋(あはちゃばし)周辺には石畳道が残る。普天満参詣道は同道から分岐して国王が普天満宮へ参詣する道であり、「当山(とうやま)の石畳道(いしだたみみち)」が残る。ともに琉球王府時代の交通を知る上で貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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中頭方西海道
中頭方西海道
普天満参詣道
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中頭方西海道
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中頭方西海道
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普天満参詣道
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普天満参詣道
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解説文
中頭方西海道は琉球王府が整備した主要道「宿道(しゅくみち)」の一つであり、安波茶橋(あはちゃばし)周辺には石畳道が残る。普天満参詣道は同道から分岐して国王が普天満宮へ参詣する道であり、「当山(とうやま)の石畳道(いしだたみみち)」が残る。ともに琉球王府時代の交通を知る上で貴重である。
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詳細解説
中頭方西海道及び普天満参詣道は、沖縄県浦添市の安波茶(あはちや)及び当山(とうやま)に所在する、琉球 王府により整備された街道の遺跡である。 沖縄では、15世紀後半以降の第二尚氏(しようし)時代に首里を中心とした宿道と呼ばれる幹線道路網の整備が行われ、王命の伝達や役人の往来、租税その他の物資の運搬など機能を果たした。このうち、首里を起点に沖縄本島を西側に北上する経路を西海道と呼び、首里から浦添、北谷(ちやたん)、読谷山(ゆんたんざ)の間切(まぎり)を通る道筋を中頭方西海道、以北の恩納(おんな)、名護(なご)、今帰仁(なきじん)、国頭(くにがみ)の間切に至る道を国頭方(くにがみほう)西海道と称している。後者については、恩納村所在の街道と関連施設を平成16年に史跡に指定してその保護を図っている。 今回、新たに指定を行うのは、中頭方西海道のうち、浦添市内に残る安波茶橋一帯と、中頭方西海道から分岐して宜野湾(ぎのわん)間切に至る普天満参詣道の当山の石畳道(いしだたみみち)である。「浦添城の前の碑」等によれば、首里・浦添間の道筋は、尚寧王(しようねいおう)の1597年に石敷道として整備され、幅員も9尺に拡幅され、安波茶橋についても木橋から石橋に改修されたと考えられている。安波茶橋は、谷部を流れる小湾川(こわんがわ)に架かる南北2基の石造アーチ橋であり、その前後に石畳道が連続する。平成7~18年度に修復及び整備事業が行われ、その際実施された発掘調査によれば、石畳道はほぼ琉球石灰岩を用いた幅3.1メートルの規模であった。北橋は単芯の円弧で3個の幅の長い琉球石灰岩を連結する構造であり、18~19世紀頃に改修された痕跡が残る。南橋は沖縄戦で破壊されたが、単芯の円弧で幅の狭い7個の琉球石灰岩を連結した、橋中央が駝背状に盛り上がる構造であることが判明し、復元整備されている。また、北橋の西方には、国王が赤い皿で水を飲んだという伝承を持つ赤(あか)皿(ざら)ガー(湧水)が現存する。 普天満参詣道は、浦添間切番所(ばんじよ)の北側で東に分岐して宜野湾間切に向かう道筋である。尚賢王(しようけんおう)の1644年以降、国王の普天満宮参詣が王城の公事となったことや、1671年に宜野湾間切が新設されたことにより、参詣道として、さらに宿道として整備された。今は失われているが、かつては沿道に宜野湾並松(なんまち)と呼ばれた松並木が連続していた。このうち当山の石畳道は、西海道との分岐点から東に約500メートルの地点にあり、牧港川(まきみなとがわ)に架かる当山橋を挟んで、幅約3メートルの石畳が良好に残存する。この地点は勾配が急なため「馬転ばし」または「馬ドゥケーラシ」と呼ばれる難所であった。平成8年度及び同11~13年度に修復及び整備工事が行われている。 このように、中頭方西海道及び普天満参詣道は、ともに琉球王府が幹線道路として整備した街道であり、現在も石畳道や橋梁遺構等が良好に残存し、我が国の交通・土木の歴史を知る上で貴重なことから、整備事業が完了した部分を含む約397メートル分(中頭方西海道約187メートル、普天満参詣道約210メートル)を史跡に指定して保護を図るものである。