国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
道成寺境内
ふりがな
:
どうじょうじけいだい
境内(本堂・三重塔)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
奈良から現代
年代
:
西暦
:
面積
:
30253.71 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
39
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2013.03.27(平成25.03.27)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
和歌山県
所在地(市区町村)
:
和歌山県日高郡日高川村・御坊市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
境内(本堂・三重塔)
解説文:
詳細解説
大宝元年(701)に文武(もんむ)天皇の勅願により創建されたとされ、安珍(あんちん)・清(きよ)姫(ひめ)説話の舞台としても著名。8世紀前半以来幾度かの復興を遂げ、現在まで法(ほう)灯(とう)を継ぐ寺院。観音信仰を中心とする信仰のあり方を知る上で重要な史跡である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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境内(本堂・三重塔)
本堂(重要文化財)
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境内(本堂・三重塔)
写真一覧
本堂(重要文化財)
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解説文
大宝元年(701)に文武(もんむ)天皇の勅願により創建されたとされ、安珍(あんちん)・清(きよ)姫(ひめ)説話の舞台としても著名。8世紀前半以来幾度かの復興を遂げ、現在まで法(ほう)灯(とう)を継ぐ寺院。観音信仰を中心とする信仰のあり方を知る上で重要な史跡である。
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詳細解説
道成寺は、和歌山県日高川町鐘巻及び御坊市藤田町に所在する天台宗の寺院である。山号を天音山(てんおんざん)という。日高川河口から4キロメートルほど遡った北岸の小高い丘に立地している。安珍・清姫説話の舞台としてよく知られている。 寺伝によれば、大宝元年(701)、文武天皇の勅願により、紀(きの)大臣(おおおみの)道成(みちなり)が后妃宮子の生誕の地に、法相宗の義淵僧正を開山として創建されたという。文武天皇勅願との伝承は京都妙満寺に伝えられる正平14年(1359)鋳造の梵鐘銘にもみえる。平安時代初期に位置づけられる本尊千手観音立像(脇侍である伝日光・月光菩薩ともに国宝)のほか、本尊の背面北向きに安置されていた南北朝時代の千手観音立像(鞘仏)の中から発見された奈良時代後期にさかのぼる千手観音立像等を所蔵する。 正面の石段を登ったところに仁王門(元禄年間建立、重要文化財)、その奥の正面に本堂(文化9年から12年〈1812~15〉に大修理、重要文化財)が建つ。本堂の東南には三重塔(宝暦13年〈1763〉建立、県指定重要文化財)、東側には書院(元禄15年〈1702〉建立)と庫裏がある。本堂の西側には護摩堂(弘化4年〈1848〉建立)と鎮守三社が建ち、境内の西端に大宝殿・縁起堂が近年建てられている。さらに、本堂の北東約200メートルの丘陵上に奥の院がある。 本堂の解体修理に先立ち、仏像の移転保存を行うために大宝殿と縁起堂の建設が計画され、昭和53年から56年にかけて境内地の発掘調査が実施された。それにより、丘陵の南縁、現仁王門の位置に中門を置き、中門から出る回廊(複廊)が現在の本堂の位置に置かれた仏堂(講堂)に取り付き、この回廊で囲まれた内部の東に塔(現三重塔が位置する)、西に東面する金堂(基壇をのせる基盤となる地山造出面を確認)を配置する観世音寺式伽藍配置をとることが明らかとなった。講堂の北側約10メートルの位置には、僧坊と推定される東西方向の掘立柱建物が検出され、さらに浅い谷を隔てた北側の丘陵において、総柱の掘立柱建物が検出され、倉庫院の一部と推定された。また、昭和62年からは本堂の解体後の基壇の発掘調査と、その周辺部についても発掘調査が実施され、中世以降の変遷も明らかとなった。 出土瓦の年代観によりその変遷をたどれば、8世紀の前半に現在の本堂とほぼ同じ場所に仏堂が建立され、8世紀後半には周辺部の整地造成が行われて、伽藍が完成した。仏堂は講堂として取り込まれ、平安時代前期には、その講堂の南面に孫廂を取り付け、礼堂としての空間を付加する大修理が行われて、本堂としての性格を強めていった。正平12年(1357)には、本堂を再建し、内部に内陣(ないじん)・外陣(げじん)を設け、内陣奥を宮殿(くうでん)としている。これが現在の本堂である。この時、本堂の南面と北面に池が造られ、寺観が一新した。江戸時代になるまでには、その勢いも一時衰退するが、紀州徳川家の庇護を受け、現在の伽藍が整備された。 道成寺は安珍・清姫説話の舞台として、「道成寺物」と呼ばれる能や歌舞伎の古典芸能でもよく知られている。その説話の原形は、『本朝(ほんちょう)法華(ほっけ)験記(げんき)』(平安時代中期成立)にみることができる。そこには道成寺の寺名が初見するとともに、熊野参詣の途上の説話として、法華経の功徳が説かれている。『元亨(げんこう)釈書(しゃくしょ)』(鎌倉時代末期成立)で初めて安珍の名が登場する(女主人公は江戸時代になって「清姫」と固定した)。道成寺には重要文化財に指定されている『道成寺縁起』が所蔵されている。法華経は観音の応現身(おうげんしん)を説く教典であり、千手観音菩薩を中心とした観音信仰の展開を語る重要な資料である。 このように、道成寺は創建当初から現在までこの地で法灯を伝え続けており、建造物・仏像・絵巻等、多くの文化財が現在も良好に遺存している。我が国における宗教・信仰のあり方、とりわけ観音信仰の展開を知るうえで重要であることから、その境内地全域を史跡に指定し保護を図ろうとするものである。