国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
豊後街道
ふりがな
:
ぶんごかいどう
境ノ松坂
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
江戸
年代
:
西暦
:
面積
:
35981.46 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
124
特別区分
:
指定年月日
:
2013.07.10(平成25.07.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
熊本県
所在地(市区町村)
:
熊本県阿蘇市・阿蘇郡産山村
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
境ノ松坂
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
境ノ松坂
滝室坂
的石茶屋
二重峠
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境ノ松坂
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滝室坂
写真一覧
的石茶屋
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二重峠
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詳細解説
豊後街道は、熊本藩の参勤交代道である。豊後鶴崎と肥後熊本城下を結ぶ道で、肥後では清正公道、鶴崎路、豊後では熊本街道、肥後街道とも呼ばれた。慶長6年(1601)、肥後の領主加藤清正は瀬戸内海への通路、基地を望み、天草郡の代わりに豊後三郡内に二万三千石を得、熊本城下と豊後鶴崎を結ぶ32里の街道の整備に着手した。この豊後街道は、加藤氏の後に肥後に入部した細川氏にも引き続き利用された。豊後街道は熊本城下より立田口に出て東行し、阿蘇外輪山の一角二重ノ峠に到る。ここまでが清正公道といわれることが多い。それより阿蘇火口原に下り、内牧、坂梨を経て滝室坂によって再び外輪山をこえ、波野、産山を経て豊肥国境に到り、久住・野津原を経て鶴崎港に達し、それより海路瀬戸内海をゆく。 豊後街道は熊本藩の参勤交代道として主要な歴史的役割をはたしたのみならず、九州を横断する街道として多くの民衆にとっても重要な道として機能した。遺構が良好に残っている二重峠の石畳道をはじめとする街道5箇所(4.38キロメートル分)及び的石御茶屋について指定するものである。