国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
梅之木遺跡
ふりがな
:
うめのきいせき
梅之木遺跡(全景)
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
縄文中期
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
30
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2014.03.18(平成26.03.18)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
山梨県
所在地(市区町村)
:
山梨県北杜市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
梅之木遺跡(全景)
解説文:
詳細解説
梅之木遺跡は,日本列島の中でも,縄文時代中期の遺跡の密集度が傑出している八ヶ岳南麓の東端部に位置し,標高770mから790mの西向き緩斜面に立地する,縄文時代中期中葉から末葉にかけての集落跡である。
遺跡の中心はこの緩斜面上の環状集落であり,南北60m,東西20mの遺構のない楕円形の中央広場を取り囲むように,約150棟からなる竪穴建物群が東西・南北とも100mの範囲で広がる。環状集落の北側の急斜面下に流れる湯沢川左岸の河岸段丘上には,敷石建物や集石土坑からなる遺構群が存在するが,環状集落からこの遺構群に通じる道状遺構がこの北側急斜面で確認された。これを道状遺構(みちじょういこう)とした根拠は,明らかに段切造成されていること,踏み固められていること,出土土器は環状集落と同じ時期であること,環状集落と遺構群を最短距離で結んでいること等であり,全国的にみても類似例は少ない。
八ヶ岳南麓にはおよそ3~5km間隔で縄文時代中期の集落遺跡が分布するが,その中でも,環状集落の構造と年代をはじめ,河岸段丘上の遺構群の実態や道状遺構の存在など,生活域すべての構造が判明した事例は他にない。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
梅之木遺跡(全景)
梅之木遺跡(竪穴建物跡)
梅之木遺跡(道状遺構)
梅之木遺跡(出土遺物)
写真一覧
梅之木遺跡(全景)
写真一覧
梅之木遺跡(竪穴建物跡)
写真一覧
梅之木遺跡(道状遺構)
写真一覧
梅之木遺跡(出土遺物)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
梅之木遺跡は,日本列島の中でも,縄文時代中期の遺跡の密集度が傑出している八ヶ岳南麓の東端部に位置し,標高770mから790mの西向き緩斜面に立地する,縄文時代中期中葉から末葉にかけての集落跡である。 遺跡の中心はこの緩斜面上の環状集落であり,南北60m,東西20mの遺構のない楕円形の中央広場を取り囲むように,約150棟からなる竪穴建物群が東西・南北とも100mの範囲で広がる。環状集落の北側の急斜面下に流れる湯沢川左岸の河岸段丘上には,敷石建物や集石土坑からなる遺構群が存在するが,環状集落からこの遺構群に通じる道状遺構がこの北側急斜面で確認された。これを道状遺構(みちじょういこう)とした根拠は,明らかに段切造成されていること,踏み固められていること,出土土器は環状集落と同じ時期であること,環状集落と遺構群を最短距離で結んでいること等であり,全国的にみても類似例は少ない。 八ヶ岳南麓にはおよそ3~5km間隔で縄文時代中期の集落遺跡が分布するが,その中でも,環状集落の構造と年代をはじめ,河岸段丘上の遺構群の実態や道状遺構の存在など,生活域すべての構造が判明した事例は他にない。
詳細解説▶
詳細解説
梅之木遺跡(うめのきいせき)は、甲府盆地の北西部、金ヶ岳(かながたけ)と茅ヶ岳(かやがたけ)から西側へ派生する台地で、標高770~790mの緩やかに傾斜する西向きの尾根上に立地する、縄文時代中期中葉から末葉にかけての集落跡である。日本列島の中でも、縄文時代中期の遺跡がきわめて濃密に分布する八ヶ岳(やつがたけ)南麓の縄文遺跡群の東端部に位置する。 この遺跡は、県営畑地帯総合整備事業に際して北杜市教育委員会(旧明野村教育委員会)が平成12~15年度に実施した試掘・確認調査により、標高775~790mの緩斜面に直径約100mの環状集落(かんじょうしゅうらく)が確認されたため、計画変更によって、保存が決まった。その後、平成16~19年度に実施した範囲と内容を確認する発掘調査により、環状集落の北側急斜面下、標高770mの湯沢川左岸の河岸段丘上に敷石建物や集石、土坑からなる遺構群が、さらに、環状集落からこの河岸段丘上の遺構群に繋がる急斜面地からは道状遺構が確認され、これにより集落の全体像がほぼ明らかになった。 環状集落は南北60m、東西20mの遺構のない楕円形の中央広場を取り囲むように、約150棟からなる竪穴建物(たてあなたてもの)が南北、東西とも100mの範囲に広がる。土坑墓(どこうぼ)や貯蔵穴(ちょぞうけつ)と考えられる土坑も多数確認されたが、これらは中央広場など特定の場所に密集することはなく、竪穴建物と同じ分布状況を示す。竪穴建物の大半は保存を目的としたため発掘作業では上面の検出に留めているが、その上面から出土した縄文土器により、この環状集落は縄文時代中期中葉の井戸尻(いどじり)式3段階から居住が始まり、中期末葉の曽利(そり)Ⅳ式段階に竪穴建物数がもっとも増え、曽利Ⅴ式に終焉するまで途切れることなく存続したことが明らかになった。また、床面まで掘り下げた9棟の状況から、各期において石組炉を有し、また、壁に沿って小溝が巡る建物構造であることも明らかになった。 湯沢川左岸の河岸段丘上では敷石建物1棟、集石土坑1基のほかに土坑や焼土といった土坑群が検出され活動の痕跡が認められた。 北側急斜面に70mにわたって確認された道状遺構はこれまで全国的にみても稀有な遺構である。この遺構を道と認定した根拠は、明らかに段切造成されていること、硬化面が全面にわたって存在すること、出土遺物が環状集落と同時期の縄文土器に限られること、環状集落と河岸段丘上の遺構群を直接的に最短距離で結ぶ位置関係にあること、などによる。 また、湯沢川右岸の斜面地については、包含層や土坑は確認できたがいずれも濃密な分布ではなく、長期的・集中的な居住や生活痕跡は認められなかったものの、縄文人の行動範囲として位置づけることができる。 八ヶ岳南麓は、日本列島全体を見渡しても、縄文時代中期の集落遺跡が突出して濃密な分布をみせる地域であり、梅之木遺跡はその東端部に位置する典型的な環状集落である。当該期の集落遺跡は概ね3~5㎞間隔で分布するが、その中でも、環状集落の構造と年代、近接する河岸段丘上に立地する遺構群との繋がりを示す道状遺構等、環状集落だけでなくその周辺の生活領域までが明らかになった遺跡は梅之木遺跡以外に存在せず、遺跡の遺存状態も極めて良い。よって史跡に指定して保護を図ろうとするものである。