国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
雪野山古墳
ふりがな
:
ゆきのやまこふん
雪野山古墳(石室全景)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳前期
年代
:
西暦
:
面積
:
3539.51 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
30
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2014.03.18(平成26.03.18)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
滋賀県
所在地(市区町村)
:
滋賀県近江八幡市・東近江市・蒲生郡竜王町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
雪野山古墳(石室全景)
解説文:
詳細解説
雪野山古墳は湖東平野の日野川中流域の東寄りに位置する,雪野山の山頂に立地する墳長70mの前方後円墳である。平成元年度から平成4年度にわたって八日市市教育委員会(当時)と大阪大学を中心とした発掘調査団によって発掘調査が行われ,平成7年度には,発掘調査報告書が刊行された。
墳丘は2段築成で,墳丘の一部には葺石(ふきいし)も認められる。なお,埴輪は確認されていない。後円部の中央には,南北方位に沿って2基の埋葬施設が併行して存在する。調査が行われたのは東側の竪穴式石室のみで,その規模は,内法で長さ6.1m,幅1.5m,高さ1.6mである。石室には粘土棺床(ねんどかんしょう)が築かれており,半環状の突起を有した舟形木棺(ふながたもっかん)が納められていた。棺内及び棺外からは青銅鏡5面と碧玉(へきぎょく)製石製品のほか,銅鏃(どうぞく)や鉄鏃(てつぞく),鉄製の武器や農工具,靫(ゆぎ)などが未盗掘の状態のまま,多数出土した。これらの副葬品の製作年代等から,雪野山古墳の築造時期は概ね4世紀初頭に位置づけられる。また,これらの副葬品が古墳時代前期前半における古墳の副葬品目をほぼ網羅していることから,当時の葬送儀礼を復元することのできる貴重な事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
雪野山古墳(石室全景)
雪野山古墳(石室遺物出土状況)
雪野山古墳(三角縁波紋帯盤龍鏡)
雪野山古墳(銅鏃)
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雪野山古墳(石室全景)
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雪野山古墳(石室遺物出土状況)
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雪野山古墳(三角縁波紋帯盤龍鏡)
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雪野山古墳(銅鏃)
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解説文
雪野山古墳は湖東平野の日野川中流域の東寄りに位置する,雪野山の山頂に立地する墳長70mの前方後円墳である。平成元年度から平成4年度にわたって八日市市教育委員会(当時)と大阪大学を中心とした発掘調査団によって発掘調査が行われ,平成7年度には,発掘調査報告書が刊行された。 墳丘は2段築成で,墳丘の一部には葺石(ふきいし)も認められる。なお,埴輪は確認されていない。後円部の中央には,南北方位に沿って2基の埋葬施設が併行して存在する。調査が行われたのは東側の竪穴式石室のみで,その規模は,内法で長さ6.1m,幅1.5m,高さ1.6mである。石室には粘土棺床(ねんどかんしょう)が築かれており,半環状の突起を有した舟形木棺(ふながたもっかん)が納められていた。棺内及び棺外からは青銅鏡5面と碧玉(へきぎょく)製石製品のほか,銅鏃(どうぞく)や鉄鏃(てつぞく),鉄製の武器や農工具,靫(ゆぎ)などが未盗掘の状態のまま,多数出土した。これらの副葬品の製作年代等から,雪野山古墳の築造時期は概ね4世紀初頭に位置づけられる。また,これらの副葬品が古墳時代前期前半における古墳の副葬品目をほぼ網羅していることから,当時の葬送儀礼を復元することのできる貴重な事例である。
詳細解説▶
詳細解説
雪野山古墳は湖東平野の日野川中流域の東寄りに位置する雪野山の山頂、標高約309mの地点に立地する墳長70mと推定される前方後円墳であり、行政的には近江八幡市・東近江市・竜王町の2市1町にまたがる。 平成元年、八日市市(現東近江市)が山頂に展望施設を建設する計画を立てたことから、八日市市教育委員会(当時)によって事前調査が実施された。その際に埋葬施設である竪穴式石室が検出され、木棺や副葬品が良好な状態で遺存していることが判明した。そこで急遽、展望施設の設置を中止するとともに、八日市市教育委員会と大阪大学を中心とした発掘調査団が結成され、平成元年から平成4年にわたり発掘調査が行われた。また平成22・23年には近江八幡市教育委員会・東近江市教育委員会・竜王町教育委員会がこの古墳を保存・活用するために、合同で墳丘及びその周辺の測量調査を実施した。 それらの調査成果から、墳丘は山頂の地形を利用して築かれており、前方部は北東を向いていることが判明した。墳丘規模は後円部直径40m、後円部高が4.5m以上、前方部長は未確定ながら約30mと推定される。後円部は2段築成であり、基盤層である岩盤を墳丘として加工している箇所も多い。また、葺(ふき)石(いし)は後円部を中心に確認されているが、埴輪は出土していない。 後円部の中央には、ほぼ南北方位に沿って2基の埋葬施設が平行して存在する。調査が行われたのは東側の竪穴式石室のみである。ただし、埋葬施設を築く際の墓坑の切り合いから、東側の竪穴式石室が先に築かれたことが判明している。この竪穴式石室の規模は、内法で長さ6.1m、幅1.5m、高さ1.6mである。割石を積み上げて壁を作り、天井石をのせていたと想定されるが、検出時に残っていた天井石は1枚のみであった。石室には粘土棺床が築かれており、半環状の突起を有した舟形木棺(ふながたもっかん)が納められていた。木棺は長さ5.6m、幅0.9mで、内部の2箇所に仕切り板が設けられていた。 棺内からは三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)3面と鼉龍鏡(だりゅうきょう)1面、内行花文倭鏡(ないこうかもんわきょう)1面、碧玉(へきぎょく)製の鍬形石(くわがたいし)・琴柱形石製品(ことじがたせきせいひん)・紡錘車形(ぼうすいしゃがた)石製品のほか、銅鏃30点、鉄鏃10点、鉄剣3点、鉄刀2点、鉄製農工具や漁具が20点以上出土した。また、鏃を入れていた漆塗りの靫(ゆき)と朱を入れていたと考えられる壺形土器が出土した。棺外からは小札革綴冑(こざねかわとじかぶと)・木製短甲(もくせいたんこう)や、銅鏃66点、鉄鏃33点、鉄剣2点、鉄刀3点、このほかに竪櫛(たてぐし)が26点、靫、木製合子(ごうす)が出土している。これらの副葬品の製作年代等から、雪野山古墳の築造時期は概ね4世紀初頭に位置づけられる。なお、これらの出土遺物は平成13年に重要文化財に指定された。 このように、雪野山古墳では埋葬施設の遺存状況が良好であったため、銅鏡の並べ方など、当時の葬送儀礼を復元する上で重要な手がかりとなる副葬品の配置状況についても、明瞭に把握できた意義は大きい。また、豊富な種類や数量の副葬品が出土しており、かつ古墳時代前期前半における副葬品目をほぼ網羅していることから、当該期の古墳の様相を把握する上で希有な事例といえる。また、従来近江東部における最古の前方後円墳として瓢箪山(ひょうたんやま)古墳が知られていたが、雪野山古墳はそれより遡ることが明らかとなったため、古墳時代前期における当該地域の政治・社会状況を知るうえで重要な事例であることから、史跡に指定し、その保護を図ろうとするものである。