国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
大和古墳群
ノムギ古墳
中山大塚古墳
下池山古墳
ふりがな
:
おおやまとこふんぐん のむぎこふん なかやまおおつかこふん しもいけやまこふん
大和古墳群(ノムギ古墳)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳前期
年代
:
西暦
:
面積
:
17729.89 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
137
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2014.10.06(平成26.10.06)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
奈良県
所在地(市区町村)
:
奈良県天理市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
大和古墳群(ノムギ古墳)
解説文:
詳細解説
奈良盆地東南部の天理市から桜井市にかけての山麓には古墳時代前期の巨大古墳が多数存在する。今回,史跡指定しようとする大和古墳群は,中山支群と萱生(かよう)支群からなる24基の古墳で構成される古墳群を指す。
ノムギ古墳は地形に沿って東西を主軸にとる墳長63mの前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)で,幅10~14mの周(しゅう)濠(ごう)がめぐる。出土土器から大和古墳群の前方後方墳のなかで築造はもっとも遡る。中山大塚古墳は墳長130mの前方後円墳で,竪穴式(たてあなしき)石室(せきしつ)は盗掘を受けていたが,半肉(はんにく)彫(ぼり)獣帯(じゅうたい)鏡(きょう)の破片,槍先・刀剣類・鉄(てつ)鏃(ぞく),特殊器(とくしゅき)台(だい)及び都(と)月型(つきがた)埴輪(はにわ)など各種埴輪を確認している。下池山古墳は墳長120mの前方後方墳で,周濠がめぐる。後方部に竪穴式石室がありコウヤマキを用いた木棺が遺存していた。盗掘を受けていたが,鉄剣・鉄刀などの武器,ヒスイ製勾玉・ガラス玉・碧玉製管(へきぎょくせいくだ)玉(たま)・碧玉製石釧(へきぎょくせいいしくしろ)などを確認し,石室構築の過程において,石室の天井石を石で被覆し整えた段階で小石室を構築し,大型仿製内(おおがたぼうせいない)行(こう)花(か)文(もん)鏡(きょう)1面が布袋に入れられて納められていた。
奈良盆地東南部には,古墳時代前期の巨大古墳が多数存在するなかにあって,大和古墳群は,前方後円墳と前方後方墳が混在するところに大きな特徴がある。これらの古墳は,畿内地域における出現期古墳の具体的な様相,さらには大和政権の成立から展開を知ることができるという点で極めて重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
大和古墳群(ノムギ古墳)
大和古墳群(中山大塚古墳)
大和古墳群(下池山古墳)
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大和古墳群(ノムギ古墳)
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大和古墳群(中山大塚古墳)
写真一覧
大和古墳群(下池山古墳)
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解説文
奈良盆地東南部の天理市から桜井市にかけての山麓には古墳時代前期の巨大古墳が多数存在する。今回,史跡指定しようとする大和古墳群は,中山支群と萱生(かよう)支群からなる24基の古墳で構成される古墳群を指す。 ノムギ古墳は地形に沿って東西を主軸にとる墳長63mの前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)で,幅10~14mの周(しゅう)濠(ごう)がめぐる。出土土器から大和古墳群の前方後方墳のなかで築造はもっとも遡る。中山大塚古墳は墳長130mの前方後円墳で,竪穴式(たてあなしき)石室(せきしつ)は盗掘を受けていたが,半肉(はんにく)彫(ぼり)獣帯(じゅうたい)鏡(きょう)の破片,槍先・刀剣類・鉄(てつ)鏃(ぞく),特殊器(とくしゅき)台(だい)及び都(と)月型(つきがた)埴輪(はにわ)など各種埴輪を確認している。下池山古墳は墳長120mの前方後方墳で,周濠がめぐる。後方部に竪穴式石室がありコウヤマキを用いた木棺が遺存していた。盗掘を受けていたが,鉄剣・鉄刀などの武器,ヒスイ製勾玉・ガラス玉・碧玉製管(へきぎょくせいくだ)玉(たま)・碧玉製石釧(へきぎょくせいいしくしろ)などを確認し,石室構築の過程において,石室の天井石を石で被覆し整えた段階で小石室を構築し,大型仿製内(おおがたぼうせいない)行(こう)花(か)文(もん)鏡(きょう)1面が布袋に入れられて納められていた。 奈良盆地東南部には,古墳時代前期の巨大古墳が多数存在するなかにあって,大和古墳群は,前方後円墳と前方後方墳が混在するところに大きな特徴がある。これらの古墳は,畿内地域における出現期古墳の具体的な様相,さらには大和政権の成立から展開を知ることができるという点で極めて重要である。
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詳細解説
奈良盆地東南部の天理市から桜井市にかけての山麓には古墳時代前期に築造された墳長200m級の巨大前方後円墳が多数存在する。すなわち西殿塚古墳を中心とする大和古墳群、行燈山古墳・渋谷向山古墳を中心とする柳本古墳群、纒向石塚古墳などを中心とする史跡纒向古墳群、そしてその南部の史跡桜井茶臼山古墳、史跡メスリ山古墳などである。これらの古墳は、大和政権の成立と関わりがあるとして古くから注目されるとともに、これまでに多くの調査・研究がおこなわれてきた。 この地域の古墳群の呼称やくくり方については諸説あるが、今回、大和古墳群は、中山支群と萱生支群の二つの支群からなる24の古墳で構成される古墳を指すこととする。ちなみに、この地は、大和神社の宮郷である「大和郷」と重複する。 ノムギ古墳は地形に沿って東西を主軸にとる墳長63mの前方後方墳である。墳丘は後世の削平を受け、埋葬施設も失われているが、後方部南斜面から多数の石材が出土しており、葺石が存在した可能性がある。周囲には幅10~14mの周濠があり、そこから出土した土器の特徴から大和古墳群の前方後方墳のなかで築造時期はもっとも遡る。 中山大塚古墳は墳長130mの前方後円墳である。墳丘は後円部2段、前方部1段で、葺石を伴っている。埋葬施設は長辺17m、短辺12mの墓坑に、全長7.5m、高さ2mの竪穴式石室が構築され、天井石の上は石で被覆されていたが被覆粘土は確認できなかった。盗掘を受けており、副葬品の大半は失われていたが、半肉彫獣帯鏡の破片、槍先1点・刀剣類23点・鉄鏃13点などの武器類が出土した。また、石室を被覆した石材の上からは宮山型の特殊器台などが破砕された状態で出土し、墳丘上からは都月型埴輪・円筒埴輪・特殊壺形埴輪・壺形埴輪を確認している。出土遺物の内容から、築造時期は古墳時代前期初頭と考えられる。 また、下池山古墳は、南北に主軸をもつ墳長120mの前方後方墳である。墳丘は前方部、後方部ともに2段築成で葺石を伴い周濠がめぐる。後方部には全長6.8mの長大な竪穴式石室があり、また石室内にはコウヤマキを用いた木棺が遺存していた。盗掘を受けていたものの、副葬品として鉄剣・鉄刀などの武器、ヒスイ製勾玉・ガラス玉・碧玉製管玉・碧玉製石釧などが残っていた。また、石室構築の過程において、石室の天井石を石で被覆し整えた段階で小石室を構築し、直径37.6cmの大型仿製内行花文鏡1面が布袋に入れられて納められていた。大型仿製鏡や石室の構造、墳形の特徴などから、古墳時代前期前半でも新しい段階の築造と考えられる。 奈良盆地東南部には、多くの巨大な前期古墳が所在しているが、大和古墳群は、前方後円墳と前方後方墳が混在するところに大きな特徴がある。ノムギ古墳は最古級の前方後方墳で、下池山古墳はもっとも新しい前方後方墳である。一方、中山大塚古墳は、本古墳群で築造時期がもっとも遡る前方後円墳であり、墳丘形態、石室構造、葺石等の外表施設において畿内地域の典型的な前方後円墳である。これらの古墳は、畿内地域における出現期古墳の具体的な様相、さらには大和政権の成立から展開を知ることができるという点できわめて重要である。よって史跡に指定して保護を図ろうとするものである。