国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
城山横穴群
ふりがな
:
じょうやまよこあなぐん
城山横穴群(出土遺物)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳後期
年代
:
西暦
:
面積
:
24215.57 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
137
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2014.10.06(平成26.10.06)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
福岡県
所在地(市区町村)
:
福岡県田川郡福智町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
城山横穴群(出土遺物)
解説文:
詳細解説
福岡県福智町に所在する城山横穴群は,遠賀川(おんががわ)流域の上流に当たり,南北約360m,東西約100mにわたる独立丘陵上に造営されている。平成20~25年度に福智町教育委員会により実施された確認調査で,横穴墓222基,横穴墓に伴う墳丘12基,横穴式石室墳1基を良好な保存状態で確認した。九州内で200基を超える横穴墓群は4例しかないが,中でも当横穴群の密度は最も高い。当横穴群における横穴墓の初現は6世紀前半で,遠賀川流域の横穴墓としては最古段階のものとなる。築造のピークは6世紀末~7世紀初頭前後で,追葬は少なくとも7世紀後半まで行われている。また6世紀前半~中頃までは丘陵北部が築造の主体であったが,造墓数が増え始める6世紀後半から,丘陵南部まで横穴墓が展開する。このように,当横穴群は長期にわたって横穴墓が造営され,開始から終焉までの変遷過程を追うことができる貴重な事例である。
このように,城山横穴群は規模や密集度の点で全国的にも比肩する例は限られており,我が国を代表する横穴群として貴重な事例である。また,当該地域の歴史的特性を顕著に示すものとしても重要であることから,史跡に指定して保護を図るものである。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
城山横穴群(出土遺物)
城山横穴群(墳丘と横穴)
城山横穴群(横穴近景)
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城山横穴群(出土遺物)
写真一覧
城山横穴群(墳丘と横穴)
写真一覧
城山横穴群(横穴近景)
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解説文
福岡県福智町に所在する城山横穴群は,遠賀川(おんががわ)流域の上流に当たり,南北約360m,東西約100mにわたる独立丘陵上に造営されている。平成20~25年度に福智町教育委員会により実施された確認調査で,横穴墓222基,横穴墓に伴う墳丘12基,横穴式石室墳1基を良好な保存状態で確認した。九州内で200基を超える横穴墓群は4例しかないが,中でも当横穴群の密度は最も高い。当横穴群における横穴墓の初現は6世紀前半で,遠賀川流域の横穴墓としては最古段階のものとなる。築造のピークは6世紀末~7世紀初頭前後で,追葬は少なくとも7世紀後半まで行われている。また6世紀前半~中頃までは丘陵北部が築造の主体であったが,造墓数が増え始める6世紀後半から,丘陵南部まで横穴墓が展開する。このように,当横穴群は長期にわたって横穴墓が造営され,開始から終焉までの変遷過程を追うことができる貴重な事例である。 このように,城山横穴群は規模や密集度の点で全国的にも比肩する例は限られており,我が国を代表する横穴群として貴重な事例である。また,当該地域の歴史的特性を顕著に示すものとしても重要であることから,史跡に指定して保護を図るものである。
詳細解説▶
詳細解説
福岡県福智町に所在する城山横穴群は、遠賀川流域の上流に当たり、南北に長い盆地が形成されている地点に立地する墳墓群である。その中央部に田川中央丘陵が位置しており、その先端部にある南北約360m、東西約100m、標高21~35mの独立丘陵上に横穴群が造営されている。 城山横穴群については既に『福岡県遺跡等分布地図』(昭和52年)や『金田町史』(平成11年、現福智町)に記載があり、『金田町史』では約40基の横穴の存在と、横穴内に赤色顔料が塗られていたとの記載がある。平成20から25年度には福智町教育委員会により範囲及び横穴の基数を把握するための調査が実施され、その結果、横穴222基、横穴に伴う墳丘12基、横穴式石室をもつ円墳1基が良好な保存状態で遺存していることが確認された。 横穴の群構造については、横穴前面の平坦面を共有する群、大型の横穴を中心にまとまりを持つ群がみられるとともに、西側の急斜面においては水平方向に段を形成しながら重層的に構築され、その段ごとに墓道を共有するような群構造が認められる。また、丘陵平坦部に墳丘を築造し、そこへ横穴を複数構築するといった群構造を形成することも特徴である。 横穴の玄室については、平面形態は方形、横長方形、縦長方形、小型不整形など多様な形態が認められ、その規模としては玄室長・玄室幅ともに1~3m程度である。横長方形の玄室が多い傾向にあり、これは北部九州の傾向と一致する。また、横穴に伴って12基の墳丘が築造される点や、羨門部入口に見られる石組構造については、遠賀川流域の横穴群に見られる地域的特徴である。一方、玄室の天井形態はドーム形が主流をなすが、このことは遠賀川流域よりもむしろ豊前地域にみられる特徴であり、豊前地域では5世紀前半から既にドーム状の玄室が認められることから、それらの地域の影響を受けて成立した可能性がある。 出土遺物については、副葬品として主に須恵器がある。また、横穴に伴う墳丘裾部で発見された複数の須恵器大甕や短頸壺、須恵器杯の中に納められた状態で出土したハマグリなどの存在は、墳丘における祭祀行為の一端を示す貴重な事例である。このほか、円筒埴輪を出土した墳丘が1基あるが、この墳丘が群中で最も規模が大きいことや、周辺地域でも同様の事例が見られることから、円筒埴輪を出土する墳丘周辺に位置する横穴については、それ以外の横穴に対し階層的優位性があったと想定される。 この横穴群の時期的な変遷については、初現が6世紀前半であることが確認され、これまで6世紀中頃とされてきた田川地域の横穴群の出現時期を遡ることとなり、かつ遠賀川流域の横穴群では最も早く造営されたものとなる。築造のピークは6世紀末~7世紀初頭前後で、追葬を含めると7世紀後半まで行われていることが確認された。また、6世紀前半~中頃までは丘陵北部を中心として横穴の築造が行われたが、造墓数が増え始める6世紀後半から、丘陵南部を含む丘陵全体へと横穴が展開する。このように、当横穴群は長期間にわたる横穴の造営過程がわかる貴重な事例といえる。 城山横穴群では多数の横穴が造営されているが、九州島内で200基を超える横穴群は4例しかなく、かつ横穴の分布密度に関しては当横穴群が最も高いことから、九州を代表する横穴群といえる。また、横穴群の造営過程や埋葬儀礼のあり方を知る上でも重要な事例であることから、史跡に指定して万全の保護を図るものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2016.10.03(平成28.10.03)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2016.10.03(平成28.10.03)
異動種別1
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追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
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