国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
大野原古墳群 椀貸塚古墳 平塚古墳 角塚古墳 岩倉塚古墳
ふりがな
:
おおのはらこふんぐん わんかしづかこふん ひらづかこふん かくづかこふん いわくらづかこふん
大野原古墳群(航空写真)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳時代後期
年代
:
西暦
:
面積
:
15707.52 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
68
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2015.10.07(平成27.10.07)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2020.03.10(令和2.03.10)
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
香川県
所在地(市区町村)
:
香川県観音寺市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
大野原古墳群(航空写真)
解説文:
詳細解説
大野原古墳群は,瀬戸内海を望む香川県西端の,海への眺望が開けた標高約30mの扇状地のほぼ中央に位置する,6世紀後葉から7世紀前半の古墳群である。
椀貸塚古墳は,6世紀後葉のものと考えられ,直径37.2m,墳丘高9.5m,二重の周(しゅう)溝(こう)を持つ円墳で,埋葬施設は全長14.8mの横穴式石室である。平塚古墳は,7世紀初頭のものと考えられ,直径50.2mの香川県最大の円墳で,墳丘高約7m,埋葬施設は全長13.2mの横穴式石室である。角塚古墳は7世紀前半のものと考えられ,墳丘の長軸が約42m,短軸約38m,墳丘高約9mの方墳であり,埋葬施設は全長12.5mの横穴式石室である。
大野原古墳群は,この時期の古墳群としては卓越した墳丘規模であり,横穴式石室の規模は四国においても最大級である。しかも首長墓が3世代にわたり継続的に築造されているという点で,西日本における希な例である。大野原古墳群は,古墳時代後期における四国のみならず西日本における政治や社会の在り方を知る上で極めて重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
大野原古墳群(航空写真)
大野原古墳群(椀貸塚古墳)
大野原古墳群(平塚古墳)
大野原古墳群(角塚古墳)
大野原古墳群(岩倉塚古墳)
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大野原古墳群(航空写真)
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大野原古墳群(椀貸塚古墳)
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大野原古墳群(平塚古墳)
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大野原古墳群(角塚古墳)
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大野原古墳群(岩倉塚古墳)
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解説文
大野原古墳群は,瀬戸内海を望む香川県西端の,海への眺望が開けた標高約30mの扇状地のほぼ中央に位置する,6世紀後葉から7世紀前半の古墳群である。 椀貸塚古墳は,6世紀後葉のものと考えられ,直径37.2m,墳丘高9.5m,二重の周(しゅう)溝(こう)を持つ円墳で,埋葬施設は全長14.8mの横穴式石室である。平塚古墳は,7世紀初頭のものと考えられ,直径50.2mの香川県最大の円墳で,墳丘高約7m,埋葬施設は全長13.2mの横穴式石室である。角塚古墳は7世紀前半のものと考えられ,墳丘の長軸が約42m,短軸約38m,墳丘高約9mの方墳であり,埋葬施設は全長12.5mの横穴式石室である。 大野原古墳群は,この時期の古墳群としては卓越した墳丘規模であり,横穴式石室の規模は四国においても最大級である。しかも首長墓が3世代にわたり継続的に築造されているという点で,西日本における希な例である。大野原古墳群は,古墳時代後期における四国のみならず西日本における政治や社会の在り方を知る上で極めて重要である。
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詳細解説
大野原古墳群は、瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)を望む香川県西端の観音寺市大野原町に所在し、讃岐山脈を源とする柞田川(くにたがわ)が形成した扇状地のほぼ中央部の標高約30m付近で海への眺望が開けた場所に位置している。 観音寺市教育委員会は平成18年度から、本古墳群の保存と活用を図ることを目的に、近接して存在している3つの古墳の範囲と内容を明らかにするための発掘調査を実施してきた。 椀貸塚古墳は直径37.2m、墳丘高9.5mの円墳で、さらにその外側には二重の周溝とその間には若干の盛土をもって整えた周堤(しゅうてい)がある。それらを含めると、直径70mの円墳となる。埋葬施設は南西方向に開口する大型横穴式石室で、羨道(せんどう)、前室(ぜんしつ)、玄室(げんしつ)(後室(こうしつ))という複室(ふくしつ)構造をとり、全長は14.8mである。玄室奥壁(おくへき)は4段積み、左右の側壁(そくへき)はおおむね5段積みの持ち送り構造で、玄室の平面プランは緩やかな胴張(どうばり)構造をとる。玄門部は、内側に突出した玄門立柱石(げんもんりっちゅうせき)の上部に楣石(まぐさいし)を横架(おうか)し、その上に天井石(てんじょうせき)として大型石材一石を斜め架けする。なお、前室の袖石の上部にも玄門部同様に楣石が天井石より一段低く横架されている。出土遺物には、須恵器の杯・高杯・提瓶(ていへい)・甕などの破片がある。これらの内容から、古墳の築造は6世紀後葉と考えられる。 平塚古墳は直径50.2mの香川県最大の円墳である。墳丘高は約7m、特に石室下位部分の盛り土は堅く叩き締められていた。周囲には幅8.4mの周溝が廻り、それを含めると直径66.7mとなる。埋葬施設は南西方向に開口する両袖式の横穴式石室であり、羨道入口の天井石がわずかに低く高架され、羨門石(せんもんせき)が内側に少し突出するなど、複室構造の名残りが看取される単室構造である。石室は全長13.2mで、玄室奥壁は3段積み、左側壁は4段積みであり、玄室横断面形は台形となる。玄門部は、玄門立柱石を内側に突出して配置し、その上に前壁(ぜんへき)となる大型の玄門部天井石を高架する。それを左右の玄門立柱石と支え石の計4石で支える特異な形態である。出土遺物には、須恵器の杯・高杯・甕、土師器の甕などがある。これらの内容から、古墳の築造は7世紀初頭と考えられる。 角塚古墳は、墳丘長軸長約42m、短軸長約38mの方墳で、墳丘高は約9mである。周囲には幅3.3m程度の周溝が廻り、周濠を含めると長軸約48.4m、短軸約44.5mとなる。埋葬施設は南東方向に開口する両袖式の単室(たんしつ)構造の横穴式石室で、全長は12.5mである。玄室奥壁、左側壁とも1段積みである。出土遺物には、いずれも小片であるが須恵器の杯・甕などがある。これらの内容から、古墳の築造は7世紀前半と考えられる。 大野原古墳群は、6世紀後葉から7世紀前半にかけて卓越した規模の墳丘を有し、しかも3世代にわたり継続的に築造されたが、こうした事例は西日本において稀である。そして、横穴式石室の規模は、各時期いずれも四国においては最大か最大級で、3基の古墳で採用された石室形態に酷似した形のものが四国各地において点在しており、この古墳群の被葬者が一貫して主導し、四国各地の勢力と一定の関係を保持していたことが考えられる。 このように、大野原古墳群は、大規模な墳丘及び横穴式石室を有し、古墳時代後期における四国さらには西日本における政治や社会のあり方を知る上で、極めて重要である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。