国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡
ふりがな
:
ほしがとうこくようせきげんさんちいせき
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(近景)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
縄文時代
年代
:
西暦
:
面積
:
31625.45 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
38
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2015.03.10(平成27.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
長野県
所在地(市区町村)
:
長野県諏訪郡下諏訪町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(近景)
解説文:
詳細解説
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡は,霧ケ峰山塊北西部に位置する星ヶ塔山の東斜面に広がる。大正9年(1920)の鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)の調査により,黒曜石原産地遺跡であることが明らかにされ,昭和34年(1959)から同36年の藤森栄一による調査により縄文時代の採掘跡であることが明らかになった。平成9年(1997)から同25年にかけて,下諏訪町教育委員会により,発掘調査等が実施され,約3万5千㎡の範囲に縄文時代の黒曜石採掘跡が193か所分布していることが明らかになった。縄文時代前期には,鹿角(ろっかく)等と想定されるピック状の道具で,流紋岩(りゅうもんがん)を掘り崩して黒曜石原石を採掘し,原石の状態で持ち出されたことが明らかになった。縄文時代晩期には,地下の黒曜石岩脈を敲石(たたきいし)で採掘し,剥片剥離(はくへんはくり)を行って,石核や剥片の状態で持ち出したことが明らかになった。このように,各時期の採掘方法と石材の搬出状態が明らかにされ,原産地遺跡と消費遺跡を結び付る成果が得られた。星ヶ塔黒曜石原産地遺跡に産出する黒曜石は,自然科学的な手法による産地推定分析により,関東,中部を中心に,東北から東海地方までという極めて広域に供給されたことが明らかにされている。星ヶ塔黒曜石原産地遺跡は,縄文時代の交流の実態や社会の構造を考える上で欠くことができない重要な遺跡である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(近景)
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(採掘坑跡前期)
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(採掘坑跡晩期)
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(出土した黒曜石)
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星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(近景)
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星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(採掘坑跡前期)
写真一覧
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(採掘坑跡晩期)
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星ヶ塔黒曜石原産地遺跡(出土した黒曜石)
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解説文
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡は,霧ケ峰山塊北西部に位置する星ヶ塔山の東斜面に広がる。大正9年(1920)の鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)の調査により,黒曜石原産地遺跡であることが明らかにされ,昭和34年(1959)から同36年の藤森栄一による調査により縄文時代の採掘跡であることが明らかになった。平成9年(1997)から同25年にかけて,下諏訪町教育委員会により,発掘調査等が実施され,約3万5千㎡の範囲に縄文時代の黒曜石採掘跡が193か所分布していることが明らかになった。縄文時代前期には,鹿角(ろっかく)等と想定されるピック状の道具で,流紋岩(りゅうもんがん)を掘り崩して黒曜石原石を採掘し,原石の状態で持ち出されたことが明らかになった。縄文時代晩期には,地下の黒曜石岩脈を敲石(たたきいし)で採掘し,剥片剥離(はくへんはくり)を行って,石核や剥片の状態で持ち出したことが明らかになった。このように,各時期の採掘方法と石材の搬出状態が明らかにされ,原産地遺跡と消費遺跡を結び付る成果が得られた。星ヶ塔黒曜石原産地遺跡に産出する黒曜石は,自然科学的な手法による産地推定分析により,関東,中部を中心に,東北から東海地方までという極めて広域に供給されたことが明らかにされている。星ヶ塔黒曜石原産地遺跡は,縄文時代の交流の実態や社会の構造を考える上で欠くことができない重要な遺跡である。
詳細解説▶
詳細解説
星ヶ塔黒曜石原産地遺跡は、霧ケ峰山塊北西部の最高峰である鷲ヶ峰(標高1797m)の西方に位置する星ヶ塔山(標高1576m)の東斜面に広がり、諏訪黒曜石原産地群に含まれる。本遺跡の北約3kmには和田峠黒曜石原産地群、北東約5kmには男女倉(おめぐら)黒曜石原産地群、鷲ヶ峰を挟んで東約7kmには史跡星糞(ほしくそ)峠黒曜石原産地遺跡が位置している。この遺跡は、大正9年の鳥居龍蔵の調査によって、黒曜石の原産地遺跡であることが明らかになった。その後、この調査に同行した八幡一郎は、黒曜石原産地を近くの和田峠の地名で代表させたため(昭和37年)、後に和田峠が信州黒曜石原産地として著名となったが、実際にはこの星ヶ塔黒曜石原産地遺跡を指していた。また、昭和34年から36年の藤森栄一による調査では、地表にみられるくぼみが縄文時代の採掘跡であることが、国内で初めて明らかにされた。 このような経緯を踏まえ、平成9年から平成25年にかけて、下諏訪町教育委員会により、遺跡の範囲と内容を把握するために発掘調査が実施された。その結果、星ヶ塔黒曜石原産地遺跡は傾斜度17~30度の斜面に立地し、約3万5千㎡の範囲に地表面がくぼむ地点が193箇所分布していることが明らかになった。くぼみは、傾斜度14~20度の緩斜面では深いくぼみ、傾斜度が20度を超える急斜面では浅いくぼみとして確認される。これらのくぼみのうち2箇所を発掘調査したところ、黒曜石を含む地層とその黒曜石を掘り出した採掘坑が検出されたため、斜面に分布するこれらのくぼみは黒曜石原石を含む地層を対象とした黒曜石の採掘跡であることが明らかになった。 縄文時代前期には黒曜石を含む流紋岩起源の地層を、縄文時代晩期では地下の黒曜石岩脈を採掘しており、時期によって採掘対象が異なることが明らかにされた。また、縄文時代前期の黒曜石採掘坑に残された痕跡からは、鹿角などのピック状の道具で黒曜石を採掘していたと想定され、縄文時代晩期の採掘坑では黒曜石岩脈を、敲石を用いて採掘していたことが明らかとなった。このように黒曜石の産状と採掘道具などから、採掘方法の時期的な違いが明らかにされたことは重要である。 また、縄文時代前期の黒曜石採掘坑埋土からは剥片や石核の出土は非常に少ない。したがって、前期では原石の質を確認する試し割り程度の作業が行われているものの、素材剥片を得るような剥片剥離作業は行われておらず、原産地からは採掘された原石がそのまま搬出されていたものと考えられる。一方、縄文時代晩期の黒曜石採掘坑の埋土から多量の黒曜石製石核・剥片・砕片が出土し、採掘活動とともに石器製作の初期段階に位置付けられる剥片剥離作業が行われていたことが明らかとなった。このことにより、原石だけでなく石器の素材となる剥片なども消費地へ流通していたものと考えられる。 このように、遺物で各時期の採掘方法と石材の搬出状態が明らかにされたことにより、平野部の遺跡の出土状態と比較することで、黒曜石の流通の実態を把握することが出来るようになった。星ヶ塔に産出する黒曜石は、自然科学的手法による産地推定分析により、関東、中部地方を中心に、東北地方から東海地方までの極めて広域に供給されたことが明らかにされていることから、縄文時代における資源獲得と流通を考える上で重要である。その供給地である星ヶ塔黒曜石原産地遺跡は、縄文時代の地域間の関係と社会の構造を考える上で欠くことができない遺跡である。よって、星ヶ塔山の東斜面における採掘坑の分布する範囲について史跡に指定し、保護を図るものである。