国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
旧齋藤氏別邸庭園
ふりがな
:
きゅうさいとうしべっていていえん
旧齋藤氏別邸庭園(全景)
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種別1
:
名勝
種別2
:
時代
:
大正時代
年代
:
西暦
:
面積
:
4400.3 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
39
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2015.03.10(平成27.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.公園、庭園
所在都道府県
:
新潟県
所在地(市区町村)
:
新潟県新潟市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
旧齋藤氏別邸庭園(全景)
解説文:
詳細解説
江戸時代に新潟の清酒問屋であった齋藤氏は,近代以降,海運業・銀行業などを通じて新潟を代表する新興実業家に成長を遂げた。第4代の齋藤喜十郎(きじゅうろう)は,大正6年(1917)から同9年に新潟砂丘の東南縁辺部にあった旧料亭の敷地を入手して別邸を営み,開放的な和風建築を中心に砂丘地形を利用した独特の意匠・構成の庭園を築造した。作庭の実務には,東京根岸の庭師で,飛鳥山(あすかやま)の渋沢栄一邸の庭園をも手掛けた第2代松本幾次郎と弟の松本亀吉が関わった。
庭園のうち,特に主屋北側の主庭は,地形の高低差を活かして造った池泉庭園及び松鼓庵(しょうこあん)を中心とする茶庭から成る。傾斜面に広がる松林の随所に楓樹(ふうじゅ)を配して自然風の疎林を造り,総高約3.8mの石組み大滝の周辺を中心に山間の深い渓谷の風致を醸し出すなど,全体の意匠・構成は優れている。また,阿賀野川の上流域で採石した石材を多用し,主屋縁先の蹲踞(つくばい)には佐渡赤玉石(さどあかだまいし)を据えるなど,地域に固有の石材を多用する点も注目できる。
大正期における港町・商都新潟の風土色豊かな庭園の事例として優秀な風致を伝えることから,芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値は高い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧齋藤氏別邸庭園(全景)
旧齋藤氏別邸庭園(主屋の二階から)
旧齋藤氏別邸庭園(大滝)
旧齋藤氏別邸庭園(蹲踞)
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旧齋藤氏別邸庭園(全景)
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旧齋藤氏別邸庭園(主屋の二階から)
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旧齋藤氏別邸庭園(大滝)
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旧齋藤氏別邸庭園(蹲踞)
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解説文
江戸時代に新潟の清酒問屋であった齋藤氏は,近代以降,海運業・銀行業などを通じて新潟を代表する新興実業家に成長を遂げた。第4代の齋藤喜十郎(きじゅうろう)は,大正6年(1917)から同9年に新潟砂丘の東南縁辺部にあった旧料亭の敷地を入手して別邸を営み,開放的な和風建築を中心に砂丘地形を利用した独特の意匠・構成の庭園を築造した。作庭の実務には,東京根岸の庭師で,飛鳥山(あすかやま)の渋沢栄一邸の庭園をも手掛けた第2代松本幾次郎と弟の松本亀吉が関わった。 庭園のうち,特に主屋北側の主庭は,地形の高低差を活かして造った池泉庭園及び松鼓庵(しょうこあん)を中心とする茶庭から成る。傾斜面に広がる松林の随所に楓樹(ふうじゅ)を配して自然風の疎林を造り,総高約3.8mの石組み大滝の周辺を中心に山間の深い渓谷の風致を醸し出すなど,全体の意匠・構成は優れている。また,阿賀野川の上流域で採石した石材を多用し,主屋縁先の蹲踞(つくばい)には佐渡赤玉石(さどあかだまいし)を据えるなど,地域に固有の石材を多用する点も注目できる。 大正期における港町・商都新潟の風土色豊かな庭園の事例として優秀な風致を伝えることから,芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値は高い。
詳細解説▶
詳細解説
江戸時代に新潟の清酒問屋であった齋藤氏は、近代以降、海運業・銀行業などを通じて新潟を代表する新興実業家に成長を遂げた。衆議院議員及び貴族院議員を歴任した第4代の齋藤喜十郎(本名 庫吉(くらきち)、1864~1941)は、大正6~9年(1917~20)に新潟砂丘の東南縁辺部にあった旧料亭の敷地を入手して別邸を営み、開放的な和風建築を中心に砂丘地形を利用しつつ、独特の意匠・構成に基づく庭園の築造を行った。作庭の実務には、東京根岸の庭師で、飛鳥山の渋沢栄一邸の庭園をも手掛けた第2代松本幾次郎(1858~1936)と弟の松本亀吉(1877~1925)が関わった。 庭園は大きく3つの部分から成る。第1は表門から玄関への導入部、第2はその西に塀・中門を介して連続する中庭、第3は2階建ての主屋の北側に展開する主庭である。さらに主庭は2つの部分に区分でき、主屋の前面から砂丘の傾斜面にかけて広がる池泉庭園と、高低差約7.2mの傾斜面の上部に位置する茶室及び茶庭から成る。これらの計5つの部分を結んで飛び石の園路が巡り、庭園は池泉・主屋・茶室を中心に全体として池泉回遊式の構成を取る。そこには、旧料亭時代の地割の一部を継承しつつ、喜十郎が大きく改作した部分を中心として、所有が移転した第二次世界大戦後の造作も含め、重層的な改造の過程がうかがえる。 表門を入ると、正面左手に昭和9年(1934)銘を持つ銅製燈籠が建ち、右手方向に向かって4列の花崗岩切り石を縦使いに並べた敷石が弧を描いて延びる。玄関の左右に位置する大きな景石と八角型石燈籠が、玄関の正面景を両脇から引き締める。 導入部の西にあたる中庭は、主屋北側の主庭へと続く飛び石及びそこから分岐する今一つの飛び石の途上に広がる。主屋・玄関棟の入隅に広がる小規模な空間で、石製の井筒及びその周辺の石臼を用いた飛び石、窪みを持つ自然石の手水鉢を用いた蹲踞(つくばい)などを中心の景物とする意匠・構成である。 さらに主屋西側の隘路(あいろ)を飛び石伝いに北へ抜けると、樹間に滝の水音が響く明るい雰囲気の主庭が広がる。砂丘の地形の高低差を活かして造られた池泉庭園で、庭樹も砂防林のクロマツを主体とする。池泉は傾斜面の裾部に沿って東西に広がり、全体を石組みで固めた護岸のうち、北岸の中央には作庭当初の記録が残る雪見燈籠が位置する。主庭の中心は、傾斜面の上方から池泉北岸のやや西寄りへと導く石組みの流れと、その途中に存在する石組みの大滝である。大きな石材を組んだ滝の総高は約3.8mもあり、下方の流れに打った沢飛び石及び飛び石の園路沿いから望む離れ落ちの形姿は豪壮である反面、軽快な水音を響かせ、深山幽谷の風趣を象徴する景物として、その意匠・構成は秀逸である。 飛び石の園路は主庭の池泉周辺と砂丘上の高所とを結んで縦横に延び、特に西端の飛び石・延べ段・石段の中腹にあたる大滝に近い位置には田舎屋風の四阿(あずまや)が建つ。さらに傾斜面上方の平場には、茶室「松鼓庵(しょうこあん)」及び待合(まちあい)となる腰掛けを中心に簡素な雰囲気の茶庭が広がる。特に茶室に面して塀で囲んだ一画は、砂丘上の松樹が根を露出させて独特の形姿に成長を遂げた「根上がりの松」の一つを主たる景物として取り込み、蹲踞(つくばい)及び飛び石から成る露地庭を構成している。 砂丘の傾斜面に広がる松林の随所に楓樹を配して自然風の疎林を造り、大滝の周辺を中心に山間の深い渓谷の風致を醸し出すなど、庭園全体の意匠・構成は優れている。また、庭園の随所に阿賀野川の上流域で採石した石材を多用し、水道水を導いて湧水を形造った主屋縁先の蹲踞に鮮やかな色彩の佐渡赤玉石(さどあかだまいし)を据えるなど、地域に固有の石材を多用する点も注目できる。 以上のように、旧齋藤氏別邸庭園は日本海岸に沿って発達した新潟砂丘の地形・植生を生かしつつ、地域に固有の石材を多用し、石組みの大滝から水を落とすなど、大正期における港町・商都新潟の風土色豊かな庭園の事例として優秀な風致を伝える。その芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値は高く、名勝に指定して保護を図るものである。