国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
旧藏内氏庭園
ふりがな
:
きゅうくらうちしていえん
旧藏内氏庭園(主庭)
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種別1
:
名勝
種別2
:
時代
:
明治中期~昭和初期
年代
:
西暦
:
面積
:
13762.83 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
39
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2015.03.10(平成27.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2017.02.09(平成29.02.09)
指定基準
:
一.公園、庭園
所在都道府県
:
福岡県
所在地(市区町村)
:
福岡県築上郡築上町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
旧藏内氏庭園(主庭)
解説文:
詳細解説
旧藏内氏庭園は,福岡・大分県境の筑紫山地に水源を発し,周防灘へ注ぐ城井川(きいがわ)の左岸の田園地帯に位置する。藏内氏は江戸時代に庄屋を務めた家柄で,明治中期から昭和中期にかけて炭鉱及び鉱山の経営により財を成した。庭園を含む現存する屋敷などは,明治中期から昭和初期にかけて本邸として整えられた。
庭園は,玄関前の表庭,主庭,3か所の中庭,裏庭の六つの空間から成る。主庭は園池を中心とし,中島・枯滝(かれたき)石組・築山などを設け,随所に飛び石を打つ。また山燈籠(やまどうろう)などの石燈籠を各所に配置するほか,クロマツ・イヌマキ・カエデ類などの高木,ツツジ類などの低木を植えている。また園池北西部には枯流れなどが造られている。
三つある中庭は,自然石の水汲み場を設け,六角燈籠,飛び石などを配置するもの,短冊形に加工した石を縦に2列に敷き並べて通路とし,分岐点に円形の切石を用いるものなど,多彩な意匠を特徴とする。
旧藏内氏庭園は九州の炭鉱経営者が造営した代表的な近代庭園の一つであり,芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値は高い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
旧藏内氏庭園(主庭)
旧藏内氏庭園(中庭)
旧藏内氏庭園(裏庭)
旧藏内氏庭園(全景)
旧藏内氏庭園(銅像広場)
旧藏内氏庭園(鳥居と参道)
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旧藏内氏庭園(主庭)
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旧藏内氏庭園(中庭)
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旧藏内氏庭園(裏庭)
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旧藏内氏庭園(全景)
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旧藏内氏庭園(銅像広場)
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旧藏内氏庭園(鳥居と参道)
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解説文
旧藏内氏庭園は,福岡・大分県境の筑紫山地に水源を発し,周防灘へ注ぐ城井川(きいがわ)の左岸の田園地帯に位置する。藏内氏は江戸時代に庄屋を務めた家柄で,明治中期から昭和中期にかけて炭鉱及び鉱山の経営により財を成した。庭園を含む現存する屋敷などは,明治中期から昭和初期にかけて本邸として整えられた。 庭園は,玄関前の表庭,主庭,3か所の中庭,裏庭の六つの空間から成る。主庭は園池を中心とし,中島・枯滝(かれたき)石組・築山などを設け,随所に飛び石を打つ。また山燈籠(やまどうろう)などの石燈籠を各所に配置するほか,クロマツ・イヌマキ・カエデ類などの高木,ツツジ類などの低木を植えている。また園池北西部には枯流れなどが造られている。 三つある中庭は,自然石の水汲み場を設け,六角燈籠,飛び石などを配置するもの,短冊形に加工した石を縦に2列に敷き並べて通路とし,分岐点に円形の切石を用いるものなど,多彩な意匠を特徴とする。 旧藏内氏庭園は九州の炭鉱経営者が造営した代表的な近代庭園の一つであり,芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値は高い。
詳細解説▶
詳細解説
旧藏内氏庭園は、福岡・大分県境の筑紫山地の東端英彦山山系に水源を発し、周防灘へ注ぐ城井川(きいがわ)の左岸の田園地帯に位置する。 藏内氏は江戸時代に庄屋を務めた家柄で、明治中期から昭和中期にかけて炭鉱及び鉱山の経営により財を成した。庭園を含む現存する屋敷などは、藏内次郎作(1847~1923)、その甥で養子となった保房(1863~1921)、保房の子の次郎兵衛(1892~1967)ら3代の本邸として明治中期から昭和初期にかけて整えられた。 集落の北の縁辺に位置する旧藏内氏庭園は広大な水田に臨み、その向こうには南北に低い山並みが連なる。敷地北隣には貴船神社が建ち、屋敷表門への誘導路を兼ねて、城井川の堤から水田の間を真っ直ぐに参道が延びる。参道東端には石の鳥居が建ち、西端には石造りの橋が架かる。神社の社殿の建替え、参道・鳥居の整備などは、家屋の増築と同時期の大正期に保房が行った。また、保房は、屋敷西方に位置する藏内氏の墓地北隣に一族を顕彰する銅像広場を整備し、次郎作らの銅像を設置した。銅像は太平洋戦争時に供出されたため、現在は筑豊地方の炭鉱業及び屋敷地周辺の農業の様子などの精緻なレリーフをはめ込んだ花崗岩製の台座のみが残る。このように、大正期に整えられた藏内氏の住宅・庭園・神社・参道・銅像広場などは、相互に密接に関連しつつ、藏内氏の生業・生活・信仰の実態及びその繁栄の様子をひとまとまりの空間として今に伝える。 邸宅とともにそれらの中心に位置する庭園は、玄関前の表庭、主庭、3か所の中庭、大広間棟の西側の裏庭の6つの空間から成り、明治期から昭和初期にかけて造営された。 表庭では、玄関前にカイヅカイブキ・ツツジ類の植栽及び石組を配置するほか、大ぶりの山燈籠・景石などを据えるなど、玄関前の偉容を整える景物が注目される。 主庭は、表庭から主屋・応接間棟にかけての北側、大広間棟の東側に位置し、敷地のおよそ半分を占める。表庭とは板塀及び中門により区切られている。形は東西に長く、西半分は園池及び枯流れ、東半分は茶室跡及び広場となっている。園池は主屋・応接間棟とともに明治期に造られ、中島・枯滝石組・築山などを設ける。園池及び中島の汀線はやや入り組み、護岸には地元産出の丸みのある石を用いる。また、岸から中島へ東西2か所に切石製の橋が架かる。水は敷地内を流れる灌漑用水から取り込み、一定の水位を越えると再び用水へ戻る。敷地内では用水は暗渠となっており、切石で造られた水汲み場が今も園池の東に残る。主庭内の随所に飛石を打ち、山燈籠などの石燈籠を各所に配置するほか、クロマツ・イヌマキ・カエデ類などの高木、ツツジ類などの低木を植えている。園池部分には、部分的に後の改修痕跡があるものの、主な地割・意匠は作庭当時のままで、明治期の古写真とも一致する。 主庭の園池は、造営当初の明治期には主屋及び応接間棟からの観賞を主体としていたが、その後大正期に増築された茶室・大広間棟などが新しい視点場となった。茶室からの枯滝石組及び園池の水面の景観も優れるが、大広間棟からは東西にやや長い園池の向こうに山並みを望むことができ、その奥行きのある景趣に富んだ構成にも特質がある。 昭和5年(1930)には、大広間及び湯上がりの間からの観賞のために、園池北西部に大ぶりの石を立て、そこから園池へとつながる枯流れのほか、降り蹲踞(つくばい)を築造した。、それらの背後には、塀越しに水田・山並みなどの広大な空間が広がり、昔ながらのたたずまいの隣家を望むことができる。 3つある中庭のうち、第1の中庭には自然石で造られた暗渠からの水汲み場を設け、六角燈籠、飛び石などを配置する。第2の中庭は、斬新な幾何学的意匠で、短冊形に加工した石を縦に2列に敷き並べて通路とし、分岐点には円形の切石を用いる。また、沓脱石に面取りを施し、そこから降り立つ第一石に半円形の切石を使用する。第3の中庭は、主に通行用と考えられ、切石を並べて通り道とし、その他の部分に砂利を敷く。 大広間棟の西に位置する裏庭には、泉の周囲に石を組み、大ぶりの景石を据えて飛び石を打つ。また、濡れ縁前には巨石を配置した水門が残る。 以上のように、旧藏内氏庭園は九州の炭鉱経営者が造営した代表的な近代庭園の1つであり、九州地方における造園文化の広がりをよく示す事例である。また、主庭を中心に、表庭・中庭・裏庭などがそれぞれ独自の空間を成し、周辺環境も含め、大正期から昭和初期に形づくられた空間の特性が現在まで良好に残っている。その芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値は高く、名勝に指定して保護を図るものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2017.02.09(平成29.02.09)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2017.02.09(平成29.02.09)
異動種別1
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追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
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