国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
平戸領地方八竒勝(平戸八景)
髙巌
潜龍水
石橋
大悲観
巌屋宮
福石山
潮之目
ふりがな
:
ひらどりょうじかたはっきしょう(ひらどはっけい)
たかいわ
せんりゅうすい
いしばし
だいひかん
いわやぐう
ふくいしやま
しおのめ
平戸領地方八竒勝(潜龍水)
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
名勝
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
50759.6 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
39
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2015.03.10(平成27.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2016.10.03(平成28.10.03)
指定基準
:
五.岩石、洞穴,六.峡谷、爆布、漢流、深淵
所在都道府県
:
長崎県
所在地(市区町村)
:
長崎県佐世保市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
平戸領地方八竒勝(潜龍水)
解説文:
詳細解説
平戸藩第10代藩主の松浦熈(まつらひろむ)(1791~1867)は,平戸往還(平戸街道)の周辺に所在する8か所の風景地を選び,弘化4年(1847)に「平戸領地方八竒勝(ひらどりょうじかたはっきしょう)」と名付けた。熈は画工の澤渡廣繁(さわたりひろしげ)に作画を命じ,嘉永元年(1848)に解説を付して『平戸領地方八竒勝図』を完成・刊行させた。島嶼以外の本土の陸地である「地方(じかた)」の中から選んだ8つの風景地は,書画を通じて一体の風致景観として確立し,近世から近代にかけて「平戸八景」の呼称の下に多くの旅行者や行楽・参詣の人々が訪れる名所へと発展した。
髙巌(たかいわ)・潜龍水(せんりゅうすい)・石橋(いしばし)・大悲観(だいひかん)・眼鏡石(めがねいし)・巌屋宮(いわやぐう)・福石山(ふくいしやま)・潮之目(しおのめ)の8か所から成る風景地のうち,今回指定の対象とするのは3か所である。滝壺から龍が頭を表したように見えたことから熈が命名した潜龍水,高さ約22mの砂岩の垂直岩面に熈の揮毫(きごう)による大文字を彫り込んだ大悲観,間口約60m,高さ約4m,奥行き約5mの砂岩の巨大洞窟に五百羅漢仏のうちの142体が残る福石山である。これらの独特の樹叢・地形から成る一体の風致景観は,日本人の風景観に大きな影響を与えた八景の発展・定着の過程を示し,観賞上の価値及び学術上の価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
平戸領地方八竒勝(潜龍水)
平戸領地方八竒勝(大悲観)
平戸領地方八竒勝(福石山)
平戸領地方八竒勝(石橋)
平戸領地方八竒勝(巌屋宮)
平戸領地方八竒勝(潮之目)
写真一覧
平戸領地方八竒勝(潜龍水)
写真一覧
平戸領地方八竒勝(大悲観)
写真一覧
平戸領地方八竒勝(福石山)
写真一覧
平戸領地方八竒勝(石橋)
写真一覧
平戸領地方八竒勝(巌屋宮)
写真一覧
平戸領地方八竒勝(潮之目)
解説文
平戸藩第10代藩主の松浦熈(まつらひろむ)(1791~1867)は,平戸往還(平戸街道)の周辺に所在する8か所の風景地を選び,弘化4年(1847)に「平戸領地方八竒勝(ひらどりょうじかたはっきしょう)」と名付けた。熈は画工の澤渡廣繁(さわたりひろしげ)に作画を命じ,嘉永元年(1848)に解説を付して『平戸領地方八竒勝図』を完成・刊行させた。島嶼以外の本土の陸地である「地方(じかた)」の中から選んだ8つの風景地は,書画を通じて一体の風致景観として確立し,近世から近代にかけて「平戸八景」の呼称の下に多くの旅行者や行楽・参詣の人々が訪れる名所へと発展した。 髙巌(たかいわ)・潜龍水(せんりゅうすい)・石橋(いしばし)・大悲観(だいひかん)・眼鏡石(めがねいし)・巌屋宮(いわやぐう)・福石山(ふくいしやま)・潮之目(しおのめ)の8か所から成る風景地のうち,今回指定の対象とするのは3か所である。滝壺から龍が頭を表したように見えたことから熈が命名した潜龍水,高さ約22mの砂岩の垂直岩面に熈の揮毫(きごう)による大文字を彫り込んだ大悲観,間口約60m,高さ約4m,奥行き約5mの砂岩の巨大洞窟に五百羅漢仏のうちの142体が残る福石山である。これらの独特の樹叢・地形から成る一体の風致景観は,日本人の風景観に大きな影響を与えた八景の発展・定着の過程を示し,観賞上の価値及び学術上の価値が高い。
詳細解説▶
詳細解説
平戸藩第10代藩主の松浦熈(まつらひろむ)(観中(かんちゅう))(1791~1867)は、長崎勤番の際に往来した平戸往還(平戸街道)の周辺に所在する8ヶ所の風景地を選び、弘化4年(1847)に「平戸領地方八竒勝(ひらどりょうじかたはっきしょう)」と名付けた。熈は平戸に来遊した画工の澤渡廣繁(さわたりひろしげ)(1808~85)に作画を命じ、嘉永元年(1848)に解説を付して『平戸領地方八竒勝図』を完成・刊行させた。島嶼以外の本土の陸地である「地方(ぢかた)」の中から特定の8つの風景地を選んで作品に描かせた目的は、平戸領内の主要街道沿いに在りながらも、知られることなく埋もれていた独特の風景地を顕彰することにあった。 8つの代表的な風景地を選び書画に描く風習は、古く10~11世紀の中国北宋の宋廸(そうてき)が描いた「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」に起源する。「瀟湘八景」は、中国湖南地方の瀟水と湘江(しょうすいしょうこう)が合流する洞庭湖(どうていこ)付近の広大な湖沼の風景を晴嵐(せいらん)・晩鐘(ばんしょう)・夜雨(やう)・夕照(せきしょう)・帰帆(きはん)・秋月(しゅうげつ)・落雁(らくがん)・暮雪(ぼせつ)の8つの自然現象又は景物に因んで情趣豊かに描いたものである。これに倣って日本では、16世紀初頭に近江国琵琶湖の優れた風景地を「近江八景」として選び、やがて各地に固有の8つの風景地を選んで作品に描く「八景」の風習が浸透・定着した。さらに、「近江八景」のように自然現象・景物に因んで個々の場所を選ぶ手法から、自然現象等に関係なく土地に固有の一群の場所を選ぶ手法に至るまで、風景地の選択の在り方も多様化した。「平戸領地方八竒勝」は後者の類型に属し、髙巌(たかいわ)・潜龍水(せんりゅうすい)・石橋(いしばし)・大悲観(だいひかん)・眼鏡石(めがねいし)・巌屋宮(いわやぐう)・福石山(ふくいしやま)・潮之目(しおのめ)の8ヶ所から成る独特の風景地は、近代以降に「平戸八景」として広く知れわたるようになった。これらのうち、今回指定の対象とするのは「潜龍水」・「大悲観」・「福石山」の3ヶ所である。 「潜龍水」は、江迎川(えむかえがわ)上流の高さ約21mの玄武岩の岩壁に懸かり、上端部の突起により男滝(おだき)と女滝(めだき)の2条に分かれる滝である。直下の滝壺は長径約25m、短径約15m、深さ約6mあり、飛瀑とは対照的に清逸な青藍色の水を湛える。その約90m下方では岩が流れを阻み、布引(ぬのびき)の滝(たき)と不動(ふどう)の滝(たき)に分かれる。文政12年(1829)に領内を巡見した際に滝壺から龍が頭を表したように見えたため、熈は2条の滝が持つ神聖な風致に感銘して潜龍と命名した。さらに滝とその周辺の区域を神域とし、上流で不浄のものを洗うのを禁じたほか、滝の入口にあたる布引の滝及び不動の滝の左岸付近に石垣・石門・銅製の扉により結界を設け、「履物無用」の文字を刻んだ石柱を建てた。現在、銅製の扉は残らないが、石垣及び石門の門柱が残る。また、左岸の約10m上流には、裏面に文政13年(1830)と刻字した「龍門」の石額が懸かる石鳥居及び文政14年(1831)年の刻字がある1対の石燈籠が建ち、その傍らには土足での入域を禁じた「不浄禁足」の石柱も建つ。照葉樹の樹叢が覆う「潜龍水」の一帯では今なお水行を行う行者の姿があり、布引の滝及び不動の滝を含め聖域としての風致と遺風を伝える。 「大悲観」は、高さ約22mの砂岩から成る浸食残丘の垂直岩面に、熈の揮毫により縦一丈三尺にも及ぶ「大悲観」の大文字を彫り込んだ巨大な岩塊である。熈は夢にまで見た岩峰からの絶景を実見したいと願いつつ、断念せざるを得なくなった残念な心情を岩面の「大悲観」の文字に込めたと伝わる。『平戸領地方八竒勝図』によると、大文字を仰ぎ見る多くの領民が観自在菩薩の「大慈大悲」の本誓とその功徳に与ることができるように、熈は大文字の直下の岩面に観自在菩薩の銅像を安置した。昭和8年(1933)頃の崩落により、大文字の左に刻字した「文政十三年八月三日」以下の紀年銘が消滅し、方形の仏龕に安置した観自在菩薩の銅像も木像へと変わった。大文字下方の岩肌に残る複数の磨崖仏及び岩塊基部の石塔群も、この地が霊場であり続けてきたことを示す証拠として重要である。松樹・照葉樹の樹叢と、垂直に切り立った岩面の大文字が織りなす「大悲観」の風致は優秀である。 「福石山」は、福石観音境内の西端にある間口約60m、高さ約4m、奥行き約5mの水食又は海食によってできた砂岩の巨大な洞窟である。9世紀初頭に弘法大師空海が行基を追慕して五百羅漢仏を安置したのが始まりと伝え、その後、多くの羅漢仏は消滅したが、天明8年(1788)に第9代藩主松浦清(まつらきよし)が再興した。それらの多くは第二次世界大戦後に散逸し、現在では142体を残すのみとなった。『平戸領地方八竒勝図』では、古邱を圧し廊のように延びる大きな石洞内に、座禅の喜びに浸りつつ一喝一声に応じ合う五百羅漢の石像群の姿を解説している。羅漢仏の数は往時に比して僅かだが、照葉樹の樹叢が覆う独特の地形から成る「福石山」の風趣は今なお優秀である。 以上のように、平戸往還の周辺に点在する8つの風景地は、書画を通じて「平戸領地方八竒勝」を構成する一体の風致景観として確立し、近世から近代にかけて「平戸八景」の呼称の下に多くの旅行者や行楽・参詣の人々が訪れる名所へと発展した。それらは平戸に固有の地形・植生に基づく優秀な風景地であり、日本人の風景観に大きな影響を与えた「八景」の進化・定着の過程を表している。そのうち、「潜龍水」・「大悲観」・「福石山」の3ヶ所の風致景観が持つ観賞上の価値及び学術上の価値は高く、一体として名勝に指定し保護を図るものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2016.10.03(平成28.10.03)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2016.10.03(平成28.10.03)
異動種別1
:
名称変更
異動種別2
:
追加指定
異動種別3
:
異動内容
:
髙巌、石橋、巌屋宮、潮之目を追加。