国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
安徳大塚古墳
ふりがな
:
あんとくおおつかこふん
安徳大塚古墳(調査時)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳時代前期
年代
:
西暦
:
面積
:
7062.67 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
48
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2016.03.07(平成28.03.07)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
福岡県
所在地(市区町村)
:
福岡県筑紫郡那珂川町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
安徳大塚古墳(調査時)
解説文:
詳細解説
安徳大塚古墳は比高約30mの西向きの丘陵先端上に営まれた前方後円墳であり、前方部を西に向けて営まれたものである。昭和46年、周辺の住宅団地開発に伴い、福岡県教育委員会が確認調査を実施した。その結果、墳丘の全長64m、前方部前方と後円部後方で各々前後の丘陵から、幅約10mの堀り切りをし、墳丘を築き上げていることが判った。後円部の径は約35m、高さ約6m、前方部の長さ約30m、前方部幅約20m、高さ約2mを測り、前方部が後円部に比較して低く狭い形態の所謂柄鏡形の形態を示している。前方部、後円部の斜面には、全面に葺石が認められ、埴輪も巡っていた。後円部は古くから盗掘されていたが、その清掃の結果、礫床粘土槨を主体とするものと推定されている。出土した円筒埴輪及び焼成前穿孔の壺形土器は、4世紀代に遡るものとされている。墳形と合せてこの古墳が古式の古墳であり、4世紀後半を中心とするものと考えられる。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
安徳大塚古墳(調査時)
安徳大塚古墳(遠景)
安徳大塚古墳(前方部調査風景)
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安徳大塚古墳(調査時)
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安徳大塚古墳(遠景)
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安徳大塚古墳(前方部調査風景)
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解説文
安徳大塚古墳は比高約30mの西向きの丘陵先端上に営まれた前方後円墳であり、前方部を西に向けて営まれたものである。昭和46年、周辺の住宅団地開発に伴い、福岡県教育委員会が確認調査を実施した。その結果、墳丘の全長64m、前方部前方と後円部後方で各々前後の丘陵から、幅約10mの堀り切りをし、墳丘を築き上げていることが判った。後円部の径は約35m、高さ約6m、前方部の長さ約30m、前方部幅約20m、高さ約2mを測り、前方部が後円部に比較して低く狭い形態の所謂柄鏡形の形態を示している。前方部、後円部の斜面には、全面に葺石が認められ、埴輪も巡っていた。後円部は古くから盗掘されていたが、その清掃の結果、礫床粘土槨を主体とするものと推定されている。出土した円筒埴輪及び焼成前穿孔の壺形土器は、4世紀代に遡るものとされている。墳形と合せてこの古墳が古式の古墳であり、4世紀後半を中心とするものと考えられる。
詳細解説▶
詳細解説
福岡平野に南の背振山系から流れ込む那珂川の右岸には、比高20m前後の低丘陵が平野に向かってのびている。南北約4kmに達するこの低丘陵及び周囲の平野には弥生時代以来多くの遺跡が残されている。例えば、丘陵最北端は弥生時代の奴国王の墓に比定される須玖の巨石を伴う甕棺墓地があり、また丘陵上のいたる所に甕棺墓地を含む弥生時代遺跡がある。また丘陵の中程には古墳時代後期の前方後円墳である史跡日拝塚古墳がある。この丘陵の基部に近く、平野を見おろす一丘陵端に営まれたのが安徳大塚古墳である。 安徳大塚古墳は比高約30mの西向きの丘陵先端上に営まれた前方後円墳であり、前方部を西に向けて営まれたものである。昭和46年、周辺の住宅団地開発に伴い、福岡県教育委員会が確認調査を実施した。その結果、墳丘の全長64m、前方部前方と後円部後方で各々前後の丘陵から、幅約10mの堀り切りをし、墳丘を築き上げていることが判った。後円部の径は約35m、高さ約6m、前方部の長さ約30m、前方部幅約20m、高さ約2mを測り、前方部が後円部に比較して低く狭い形態の所謂柄鏡形の形態を示している。前方部、後円部の斜面には、全面に葺石が認められ、埴輪も巡っていた。後円部は古くから盗掘されていたが、その清掃の結果、礫床粘土槨を主体とするものと推定されている。出土した円筒埴輪及び焼成前穿孔の壺形土器は、4世紀代に遡るものとされている。墳形と合せてこの古墳が古式の古墳であり、4世紀後半を中心とするものと考えられる。 この古墳は、墳形を良く残した典型的な前期古墳に属するものであり、この地域における古墳時代初期の首長の墓制、ひいてはこの地域の政治的文化的推移を示すものである。北部九州における古墳時代の開始は、畿内勢力との関係を背景に理解され、前期古墳は、数少ないながらも各地における政治的関係を具体的に示すものとして注目されてきた。特に、福岡平野では前期の前方後円墳はこれまで確認されておらず、この点でこの平野における古墳時代の展開は、十分に判明していなかった。またこの平野は、弥生時代以来の歴史的経過を持ち、弥生文化と古墳文化との推移を研究する上で、重要な地域である。安徳大塚古墳は、かかる歴史的背景の上に成立したこの地域の前期古墳の一典型例として、重要なものであり、指定してその保存を図るものである。