国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
東名遺跡
ふりがな
:
ひがしみょういせき
東名遺跡(遠景)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
縄文時代早期末葉
年代
:
西暦
:
面積
:
18731.05 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
140
特別区分
:
指定年月日
:
2016.10.03(平成28.10.03)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
佐賀県
所在地(市区町村)
:
佐賀県佐賀市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
東名遺跡(遠景)
解説文:
詳細解説
標高3mに立地する167基の集石遺構と8体分の埋葬人骨が集中する墓域から成る居住域,標高-0.5mから-2mの斜面部に広がる6か所の貝塚,さらには標高-2mから-3mの低湿地に築かれた155基の貯蔵穴群によって構成される,集落構造の全体が明らかな縄文時代早期末葉(約7,000年前,較正年代約8,000年前)の遺跡である。また,生活用具や食料残滓の遺存状態も極めて良好であることから,生活全般においてその内容の復元を可能にする遺跡であり,当該期では九州や西日本はもちろん日本列島全体を見渡しても類例がない。特に,貝塚から出土する骨角製品や貯蔵穴群から出土する700点を超える編み籠からは,当該期の造形的に優れた文様の実態を知ることができ,さらにこれらが国内では最古級に属することから,その製作技術を含め系譜についても注目されるところである。このように東名遺跡は,日本列島の縄文時代早期末葉の生活復元に再考を促す可能性が高い遺跡として重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
東名遺跡(遠景)
東名遺跡(貝層露出部)
東名遺跡(出土遺物 編み籠)
東名遺跡(編み籠復元品)
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東名遺跡(遠景)
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東名遺跡(貝層露出部)
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東名遺跡(出土遺物 編み籠)
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東名遺跡(編み籠復元品)
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解説文
標高3mに立地する167基の集石遺構と8体分の埋葬人骨が集中する墓域から成る居住域,標高-0.5mから-2mの斜面部に広がる6か所の貝塚,さらには標高-2mから-3mの低湿地に築かれた155基の貯蔵穴群によって構成される,集落構造の全体が明らかな縄文時代早期末葉(約7,000年前,較正年代約8,000年前)の遺跡である。また,生活用具や食料残滓の遺存状態も極めて良好であることから,生活全般においてその内容の復元を可能にする遺跡であり,当該期では九州や西日本はもちろん日本列島全体を見渡しても類例がない。特に,貝塚から出土する骨角製品や貯蔵穴群から出土する700点を超える編み籠からは,当該期の造形的に優れた文様の実態を知ることができ,さらにこれらが国内では最古級に属することから,その製作技術を含め系譜についても注目されるところである。このように東名遺跡は,日本列島の縄文時代早期末葉の生活復元に再考を促す可能性が高い遺跡として重要である。
詳細解説▶
詳細解説
東名遺跡は、現在は有明海の海岸線から15km離れた佐賀平野中央部のやや北側に位置するが、縄文海進が進行して最終段階に差しかかった約7,000年前(較正年代約8,000年前)の縄文時代早期末葉には、旧有明海に注ぐ旧河川の左岸で、標高3mの微高地から斜面を挟んで標高-3mの低湿地にかけて立地した集落跡である。 この遺跡は、平成2年度の巨勢川(こせがわ)調整池の建設に伴う試掘・確認調査に際して、現地表面の5m下位から発見され、平成2年度から平成8年度までの発掘調査では、標高3mの居住域が発掘調査された。その後、平成15年度にさらに低い地点から貝塚が6か所確認されたことから、平成16年度から平成19年度まで工事掘削が及ぶ貝塚2か所及びその周辺の貯蔵穴群が発掘調査された。 居住域は旧河川に沿うように南北100m、東西20mの細長い範囲に広がり、167基の集石遺構、2か所の獣骨集中区、8体分の埋葬人骨が集中する墓域によって構成されるが、建物は確認されていない。埋葬人骨はいずれも屈葬であり、このうち3体については同時に埋葬された合葬と考えられる。出土遺物は、石器の種類としては石鏃・石匙・スクレイパー等があり、縄文土器としては縄文時代早期末葉に限定される塞ノ神(せのかん)式から轟(とどろき)A式までがある。 この居住域に近接する西側斜面には、ヤマトシジミ・ハイガイ・アゲマキ・カキ類等によって構成される2か所の貝塚が、標高-0.5m~-2mの範囲に存在する。第1貝塚は南北32m、東西9m、第2貝塚は南北41m、東西10mの規模を有する。 貝塚から出土する遺物には、居住域と同様の石器や縄文土器以外に、アクセサリーや刺突具としての骨角製品、ブレスレットとしての貝製品があるほか、おもに食料残滓と考えられる動物遺存体としてはニホンジカやイノシシを中心にイヌ・カモシカ・カワウソ・タヌキ・クジラ・アシカといった哺乳類、スズキ・ボラ・クロダイといった魚類、スッポンといった爬虫類等も多数出土している。また、細かい刺突文で文様を作る鹿角製装身具は未製品も多く、鹿角素材から完成品に至るまでの製作工程が詳細に復元できる事例として注目される。 貝塚の西側でさらに低くなる標高-2m~-3mの範囲の低湿地では、155基の貯蔵穴が確認され、その中から700点を超える編(あ)み籠(かご)をはじめ、竪櫛や皿状の木製品も出土した。貯蔵穴の形態は、深さ1m、直径70~40cmの円形で、イチイガシ・クヌギ・ナラガシワの実が出土することから、大多数はドングリの貯蔵用の土坑と考えられるが、なかには製作途中の木製品が出土する事例もあり、それらについては貯木用の土坑の可能性もある。 編み籠はドングリを貯蔵するための専用の容器と考えられ、年代的には日本では最古級に属し、その個体数はこれまで全国で出土している縄文時代の編み籠の総数の約6割を占めるほど多い。形態は、体部下半部に最大径があり口径の2倍以上の高さを有する袋状の大型籠、高さが50㎝前後で口径と高さがほぼ同じボウル状の小型籠、上からみた平面形が正方形もしくは長方形になる方形籠の3種類から成る。編み方も多彩でこれまで縄文時代において確認されている編み方がすべて存在し、編み方の工夫や素材を使い分けることで文様的効果を意匠した事例もある。 東名遺跡は、縄文時代早期末葉の居住域・貝塚・貯蔵穴によって構成される集落構造が明らかな遺跡である。また、生活用具や食料残滓の遺存状態も極めて良好であることから、生活全般においてその内容の復元を可能にする遺跡であり、当該期では九州や西日本はもちろん日本列島全体を見渡しても類例がほとんどない。特に、貝塚から出土する骨角製品や貯蔵穴群から出土する編み籠からは、当該期の造形的に優れた文様の実態を知ることができ、さらにこれらが国内では最古級に属することから、その製作技術を含め系譜についても注目されるところである。 このように東名遺跡は、日本列島の縄文時代早期末葉の生活復元に再考を促す可能性が高い遺跡として極めて重要であることから、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。