国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
山野貝塚
ふりがな
:
さんやかいづか
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
縄文
年代
:
西暦
:
面積
:
20739.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
千葉県
所在地(市区町村)
:
千葉県袖ケ浦市
保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
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解説文:
詳細解説
東京湾東岸(房総半島西部)に位置する縄文時代後期から晩期の大型馬蹄形貝塚。この地域に集中する大型貝塚群の中で,現存する事例としては最南端に位置し,現在でも馬蹄形の貝塚の形状をそのまま見ることができる。出土した魚類遺体は,東京湾東岸の中央部に位置する地理的特徴をよく表している。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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解説文
東京湾東岸(房総半島西部)に位置する縄文時代後期から晩期の大型馬蹄形貝塚。この地域に集中する大型貝塚群の中で,現存する事例としては最南端に位置し,現在でも馬蹄形の貝塚の形状をそのまま見ることができる。出土した魚類遺体は,東京湾東岸の中央部に位置する地理的特徴をよく表している。
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詳細解説
山野貝塚は、東京湾東岸(房総半島西部)のほぼ中央部で下総(しもうさ)台地(だいち)の南端部に位置し、小櫃(おびつ)川(がわ)によって形成された袖ヶ浦(そでがうら)台地(だいち)の最上段丘面、標高37mに立地する。東西140m、南北110mの規模で南東部が開口する馬(ば)蹄形(ていけい)の大型貝塚を有する縄文時代の集落跡であり、下総台地に現存する最南端の大型貝塚である。 この遺跡は、明治20年代に初めて報告・周知されるようになり、昭和48年度には送変電線鉄塔建設工事に伴う発掘調査によって、縄文時代後期から晩期に至る貝塚を含む集落遺跡であることが明らかになった。その後、平成4年度には、県内に所在する貝塚の悉皆調査に際して千葉県が発掘調査とボーリング調査を実施した結果、現在の貝塚の規模と形状がほぼ明らかになった。これを受け袖ケ浦市教育委員会では、平成24~26年度までさらに詳細に範囲と内容を明らかにするための発掘調査を実施して、平成27年度には総括報告書を刊行するに至った。 遺跡の形成自体は、縄文時代中期末葉の加曽利(かそり)EⅣ式期に始まる。しかし、貝塚の形成はやや遅れて縄文時代後期前葉の堀之内(ほりのうち)1式期からほぼ全域において始まり、後期中葉から後葉にかけてはそれがもっとも盛んになるとともに、竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土坑(どこう)墓(ぼ)も貝塚の中及びその周辺部に広がった。その後貝塚は晩期には認められなくなるが、遺跡自体は晩期以降も存続するものの、晩期中葉の安行(あんぎょう)3c式期には終焉を迎える。これまでのところ、後期前葉から後葉にかけての竪穴建物13棟、土坑墓3基、土坑(どこう)21基を確認している。なお、貝塚の大部分は畑地に立地することから、現在でも馬蹄形の形状が目視できるほど遺存状態は極めて良好である。 出土遺物のうち、土器には近畿の後期中葉の元住吉山(もとすみよしやま)Ⅰ式土器、東北の後期後葉の瘤付土器(こぶつきどき)、近畿の晩期前葉の橿原(かしはら)式文様を有する土器等、他地域の土器の出土が注目される。土製品としては、土偶が24点、土製耳飾9点、土版(どばん)1点の他に土製(どせい)円盤(えんばん)115点や土器片(どきへん)錘(すい)63点がある。石器には、石(せき)鏃(ぞく)・石錐(せきすい)・石(いし)匙(さじ)・磨製(ませい)石(せき)斧(ふ)・打製(だせい)石(せき)斧(ふ)・石(いし)皿(ざら)・磨(すり)石(いし)・敲(たたき)石(いし)・砥石(といし)のほかに、石製品としては独鈷(どっこ)石(いし)・石(せき)棒(ぼう)・石剣(せっけん)・垂飾(すいしょく)等がある。骨角製品(こっかくせいひん)としては、骨鏃(こつぞく)・銛頭(もりがしら)・刺突(しとつ)具(ぐ)・針(はり)等の道具類を中心に垂飾もある。貝製品としては、貝刃(かいじん)・貝(かい)輪(わ)・垂飾等がある。 動物遺存体としては、哺乳類では、イノシシ・ニホンジカがもっとも多く、これについでイヌ等の小型哺乳類やカモ・キジ・ウ等の鳥類があり、海生哺乳類ではイルカ・クジラも若干ある。貝類では、イボキサゴ・ハマグリが主体を成す。魚類については、東京湾東岸の貝塚群のうち、北部の貝塚群において主体を成す内湾性のスズキとクロダイが同様に多い一方で、南部の貝塚群で主体を成す外洋性のマダイも一定量存在する。このことは、東京湾東岸の中央部に立地し、内湾性と外洋性の両方の魚類を同時に利用できるという本遺跡の地理的特徴をよく表している。 このように、山野貝塚は東京湾東岸に集中する縄文時代後期から晩期にかけての馬蹄形の大型貝塚の中でも、現存する最南端事例であるとともに、貝塚を含めた集落の形成過程も追える稀有な事例である。また、魚類の組成をみると、東京湾東岸の中央部に立地する状況を明確に示しており、東京湾東岸に集中する貝塚群全体の在り方を考える上でも重要である。さらに、遺存状態も良好で現在でも馬蹄形の貝塚の形状が目視で確認できるほどである。よって、史跡に指定して保護を図ろうとするものである。