国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
江馬氏館跡庭園
ふりがな
:
えましやかたあとていえん
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種別1
:
名勝
種別2
:
時代
:
室町~安土桃山
年代
:
西暦
:
面積
:
1352.25 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
特別指定年月日
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追加年月日
:
指定基準
:
一.公園、庭園
所在都道府県
:
岐阜県
所在地(市区町村)
:
岐阜県飛驒市
保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
15世紀末から16世紀初頭にかけて北飛驒地方の江馬氏の居館に築かれた庭園遺構。発掘調査の成果に基づき会所(かいしょ)と塀に囲まれた空間に園池を中心とする庭園を復元整備したもので,中世における庭園文化の地方への伝播を示す重要な事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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解説文
15世紀末から16世紀初頭にかけて北飛驒地方の江馬氏の居館に築かれた庭園遺構。発掘調査の成果に基づき会所(かいしょ)と塀に囲まれた空間に園池を中心とする庭園を復元整備したもので,中世における庭園文化の地方への伝播を示す重要な事例である。
詳細解説▶
詳細解説
江馬氏館跡庭園は、飛驒市域東半部の神岡町に所在し、高原川中流域右岸にある段丘中央部に立地している。14世紀から16世紀にかけて飛驒国吉城郡高原郷を本拠とし、北飛驒を掌握していた江馬氏に関連する遺跡群は、史跡江馬氏城館跡に指定されている。江馬氏館跡庭園は、このうちの居館跡(下館跡)に発見された庭園遺構であり、保存整備されて公開されている。 江馬氏城館跡の保存の契機となったのは、江馬氏館跡庭園が所在する殿地区の土地改良事業に先立って昭和48年から52年にかけて旧・神岡町教育委員会が実施した試掘調査であり、館をめぐる堀跡や建物跡とともに庭園跡が検出され、江馬館庭園跡として岐阜県の史跡に指定された。さらに翌53年に、館規模を確認するための発掘調査が実施され、昭和55年には、中世城館の形態をよく示す貴重な遺跡群として、下館跡及びその背後の山に築かれた本城の高原諏訪城跡並びに周辺に点在する5つの山城跡が史跡に指定された。旧・神岡町では、昭和56年度に史跡の保存管理計画を策定して、平成5年度には下館跡の公有化と保存・活用の事業を推進することとし、翌6年度には専門家等から成る調査整備委員会を設置して、富山大学の協力の下に保存整備のための発掘調査を開始した。平成11年度には『史跡江馬氏城館跡下館跡地区整備基本計画』を策定し、平成11年度から平成22年度にかけて下館跡が保存整備された。 発掘調査の成果から、下館は14世紀末頃に成立し、西南西を正面として主門と脇門を設け、北側、西側、南側の三方を土塀に、東側を山に囲まれた約100m四方の敷地を有し、西側土塀の外側には深い堀を配置していたことが明らかにされている。主門を入った右手の館敷地南西隅には、会所と土塀に囲まれた空間に景石石組みを伴う園池が設えられ、東西約27m、南北約12mを測る不整形の園池は、南側陸部造成土から出土した墨書土師器皿などの所見により、15世紀末から16世紀初頭にかけて完成したものと考えられる。禅僧で歌人の万里集九(1428-没年不詳)は漢詩文集『梅花無尽蔵』で延徳元年(1489)に高原郷を訪れて江馬氏の饗応を受けたことを記しており、この頃には会所と園池から成る庭園空間がよく機能していたことを窺わせる。 庭園の地割りは会所の南側に展開し、会所からは土塀越しに左手に高原諏訪城のある山を望み、右手にかけて北飛驒の山地を遠望する。土塀の内側には緩やかな野筋を設け、手前に園池を配する。園池は会所の南側から西側に巡り、対岸の汀を成す景石群とともに、左手奥に枯滝石組み、右手奥に中島と立てられた景石群を配し、会所の西側に張り出した縁台(月見台)の正面には洲浜を設けて、多様な意匠と視点を演出している。景石には主として近在の山地から得られる黄褐色の船津花崗岩を用い、会所手前の護岸には高原川に見られる青灰色のホルンフェルスを用いている。園池には底打ちや導水路、排水路などは確認されず、池底は透水層から成って枯れ池の意匠を呈する点は、この庭園において特徴的である。 以上のように、江馬氏館跡庭園は、室町時代における庭園文化の地方への伝播と多様化を示す重要な事例として庭園史上の価値が高く、保存整備によって芸術上及び観賞上の価値も顕在化されたことから、名勝に指定して、その保護を確実にしようとするものである。