国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
棚倉城跡
ふりがな
:
たなぐらじょうあと
解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
江戸時代前期
年代
:
西暦
:
面積
:
66999.94 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
20
特別区分
:
指定年月日
:
2019.02.26(平成31.02.26)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
福島県
所在地(市区町村)
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保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
陸奥(むつ)棚倉藩主となった丹羽(にわ)長(なが)重(しげ)が,寛永2年(1625)より造営した城跡。以後,幕末まで譜代大名が城主を務めた。輪郭式の構造であり,本丸は深い堀と大土塁に囲まれた長方形単郭を呈する。江戸幕府の奥羽政策及び寛永期の築城形態を理解する上で貴重。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
解説文
陸奥(むつ)棚倉藩主となった丹羽(にわ)長(なが)重(しげ)が,寛永2年(1625)より造営した城跡。以後,幕末まで譜代大名が城主を務めた。輪郭式の構造であり,本丸は深い堀と大土塁に囲まれた長方形単郭を呈する。江戸幕府の奥羽政策及び寛永期の築城形態を理解する上で貴重。
詳細解説▶
詳細解説
江戸時代前期に築城された城跡であり,福島県東(ひがし)白(しら)川(かわ)郡(ぐん)棚(たな)倉(ぐら)町(まち)の中心市街地,八(や)溝(みぞ)山(さん)を源流とする久慈(くじ)川(がわ)が作りだした河岸段丘上の平坦地に所在する。元和8年(1622)に5万石の大名として棚倉藩主となった丹(に)羽(わ)長(なが)重(しげ)が,寛永2年(1625)より築城を開始したもので,常陸(ひたち)と境を接し,奥羽(おうう)の玄関口に位置する要衝の地を押える役割があったと考えられる。長重は寛永4年(1627)白河へ移封となり,代わって棚倉藩主となった内(ない)藤(とう)信(のぶ)照(てる)によって,引き続き城の造営や城下の整備が行われた。その後,城主は徳川譜代・親藩の家柄が入れ替わり,幕末の戊辰戦争では新政府軍と戦い落城した。 城の縄張りは,巨大な土塁と水堀で区画される長方形の本丸と,それを取り巻く二ノ丸,その北西の三ノ丸(林(はやし)曲(くる)輪(わ))からなる輪郭式の構造である。また,二ノ丸西側崖部には棚倉城で唯一の石垣が築かれている。本丸土塁上には二重隅(すみ)櫓(やぐら)4棟,一重櫓1棟が建てられ,各櫓間を連結する多門(たもん)櫓(やぐら)は東北地方の城郭では随一の規模であった。棚倉町教育委員会が実施した発掘調査により,多門櫓の礎石や,戊辰戦争時と思われる焼土や被熱した土壁材が出土した。江戸時代前期における江戸幕府の奥羽政策と,寛永期の築城形態の有り様を理解する上で貴重である。