国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
城の山古墳
ふりがな
:
じょうのやまこふん
解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳時代前期
年代
:
西暦
:
面積
:
7451.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
20
特別区分
:
指定年月日
:
2019.02.26(平成31.02.26)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
新潟県
所在地(市区町村)
:
保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
古墳時代前期におけるヤマト政権の影響下にある地域と北方世界の境界の地に位置する前期古墳。豊富な副葬品からヤマト政権との密接な関わりを想定させ,ヤマト政権の北国政策の一端を示すとともに,日本海沿岸地域の成熟過程を示す古墳。古墳時代前期の社会や地域の動向を考える上で重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
解説文
古墳時代前期におけるヤマト政権の影響下にある地域と北方世界の境界の地に位置する前期古墳。豊富な副葬品からヤマト政権との密接な関わりを想定させ,ヤマト政権の北国政策の一端を示すとともに,日本海沿岸地域の成熟過程を示す古墳。古墳時代前期の社会や地域の動向を考える上で重要。
詳細解説▶
詳細解説
新潟県北部の沖積地に位置する古墳時代前期(4世紀前葉)に築造された古墳である。内水面を通じて阿賀野川につながる紫雲寺(しうんじ)潟(がた)の北岸,日本海と内陸部とを結ぶ水上交通の要衝に立地している。周辺には,同時期の集落や生産遺跡が認められている。また,この地域は,続縄文土器が散発的に見出され,7世紀には,渟(ぬ)足(たりの)柵(き)や磐(いわ)舟(ふね)柵(のき)が本地域周辺に築かれたと推定されるなど,ヤマト政権と北方世界が交わる境界の地に当たる。 胎内市教育委員会による発掘調査によって,直径約40mの円墳である可能性が示されるとともに,未盗掘の状態で検出された全長約8m,幅1.5mの舟形木棺からは靫(ゆぎ)3点や盤(ばん)龍(りゅう)鏡(きょう)1面をはじめとする豊富な副葬品が出土した。 古墳時代前期は,前方後円墳や前方後方墳に加え,大型の円墳が各地に拡散する時期に相当するが,城の山古墳は現在までのところ日本海側における最北端,従来の北限であった阿賀野川よりも北に立地している。また,豊富な副葬品はこの古墳の被葬者とヤマト政権との密接な関わりを想定させるもので,ヤマト政権の北国政策の一端を示すものとして重要であるだけでなく,古墳時代前期の社会や地域の動向を考える上で,極めて重要な古墳である。