国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
甲府城跡
ふりがな
:
こうふじょうあと
解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
安土桃山時代
年代
:
西暦
:
面積
:
66567.24 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
20
特別区分
:
指定年月日
:
2019.02.26(平成31.02.26)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2022.03.15(令和4.03.15)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
山梨県
所在地(市区町村)
:
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
豊臣政権下,甲斐一国を治め,関東の徳川氏に対する抑えとして築かれた城跡。江戸時代には甲府藩(徳川氏・柳沢氏)の居城等となった。築城期の野(の)面(づら)積(づ)み石垣が天守台を中心に良好に遺存する。東日本における初期段階の織(しょく)豊(ほう)系城郭として貴重。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
解説文
豊臣政権下,甲斐一国を治め,関東の徳川氏に対する抑えとして築かれた城跡。江戸時代には甲府藩(徳川氏・柳沢氏)の居城等となった。築城期の野(の)面(づら)積(づ)み石垣が天守台を中心に良好に遺存する。東日本における初期段階の織(しょく)豊(ほう)系城郭として貴重。
詳細解説▶
詳細解説
山梨県甲府市の中心部,一条(いちじょう)小山(こやま)(標高約300m)と呼ばれる比高約30mの独立丘陵に築かれた,近世の平山城跡である。天正18年(1590)豊臣方の支配地となった甲斐は,関東の徳川氏への抑えとして重要視され,豊臣一門や有力武将が配置され,浅(あさ)野(の)長(なが)政(まさ)・幸(よし)長(なが)親子によって本格的な甲府城造営が進められ,慶長5年(1600)頃までに完成したと考えられる。関ヶ原の戦いの後は幕府直轄となり,城番制の時期を経て,徳(とく)川(がわ)綱(つな)重(しげ)・綱(つな)豊(とよ)(後の家(いえ)宣(のぶ))が藩主となった。その後,柳(やなぎ)沢(さわ)吉(よし)保(やす)が甲府藩主となり,大規模な城の改修が行われた。柳沢氏の移封後は再び幕府直轄地となり,甲(こう)府(ふ)勤(きん)番(ばん)支(し)配(はい)が管理し幕末に至った。 城の縄張りは,丘陵頂部の本丸を中心として,その周囲に天(てん)守(しゅ)曲(くる)輪(わ),稲荷(いなり)曲輪,数(す)寄(き)屋(や)曲輪,鍛(か)冶(じ)曲輪といった曲輪を階層的に配置するもので,本丸の西側下に帯(おび)曲輪を挟んで二の丸と楽屋(がくや)曲輪等を設け,これらの曲輪群を内堀が取り囲む。各曲輪の城壁は総石垣造りで,本丸・稲荷曲輪を中心に築城期の野面(のづら)積(づ)み石垣が残存する。発掘調査によって,鉄(くろがね)門(もん)・銅(あかがね)門(もん),煙(えん)硝(しょう)蔵(ぐら),地盤補強と思われる地中石垣,石切場遺構等を検出し,築城期と考えられる金箔の鯱(しゃち)瓦(がわら)や鬼(おに)瓦(がわら)を含む多数の遺物が出土した。また,城跡北東にある愛宕山(あたごやま)の山裾部では築城に伴う石切場も見つかった。 東日本における初期段階の織(しょく)豊(ほう)系城郭として,我が国近世の政治・軍事の歴史を知る上で貴重である。